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ピントを合わせて

昔好きだった人が写真のサークルをやっていて、気がついたら信仰宗教の教祖みたいになっていた。

別れた(と聞いていた)昔の彼女の名前で会社を設立しており、いわば青年実業家的な生き物に進化されている様子だ。連絡先を消してしまっていたからこんな未来を知るはずじゃなかったけど、突然出てくる「知り合いかも」というインターネット様のご提案により、奇しくも昔好きだった人の2024年の姿を知ってしまったのだ。



もう15年くらい前の、好きだった人の今の姿が簡単に見えてしまうなんて、占い師の水晶玉みたいだと思った。
Facebookの丸いアイコンの中の彼は、中年らしくしっかり太って、そしてしっかりハゲていた。まざまざと見せつけられた『現実』に、私はすっかり嬉しくなってしまい、思わずフィードを読み漁る。


彼の撮る写真は昔と変わっていなくて、同じ道を一緒に歩いていても、まるで別の世界が見えているみたいだった。街中にある綺麗なものを切り取るのがとても上手な人だと思った。

一緒に新宿の汚い裏路地を歩いていても、全く違う景色がこの人には見えているんだなと知った日を思い出す。閉塞感でいっぱいだった時期の私に「落ち込んでる時ほど外に出た方がいいよ」と、言って一眼レフのカメラを貸してくれた。
「綺麗なもは、自分の力で探すものだよ」と言われたことを思い出した。


あの日、彼の影響をモロに受けた私は、帰りに家電量販店に駆け込んで、Canonの一眼レフを買ったけど、
ぜんぜん綺麗な写真が撮れなかったし、カメラって重いし、iPhone(当時iPhone4だった)の方が加工も簡単で楽しかったので、早々に飽きて一年後には売ってしまった。


彼は彼で彼女と同棲して、別れたり戻ったりを繰り返していて穏やかではなさそうだったし、30手前にして結婚したがっていた彼女に「写真ばっかやってないで、ちゃんと家に帰って来て欲しい」みたいなことを言われたことがキッカケとなり別れていた。(←昔mixiの日記で読んで知った)

彼にカメラを教えたのは、その彼女だったのに。
だから彼が作った会社の名前が彼女の名前だったのを見た時、

ウッワーーー!!!!恥ずかしいくらい!!!途方もなく!!!「愛」ですねぇーーーっ!!!
と思って笑ってしまった。

好きな女が教えてくれたカメラという趣味でのしあがって、会社まで作って、謎の宗教的な尊敬を集めているみたいだったけど

別れた女の名前を会社に付けるんだ。

ふーん。

へー。


大好きじゃん。

彼にとってのファムファタールなんだね。もう、この子にはどうやったって勝てない。別れた後でも、もはや敵なし。


出世して、ラーメン屋の亭主ばりのポーズで自撮りアイコンにしてても、意外と内面は未練がましくて女々しくて、ふーん、あんたって超可愛いじゃん、と思った。



実際、彼は中年の小太りで、ハゲているし、かなり胡散臭い集い(ごめん言い過ぎ)をやっているようだったが、いまだに私の中の好感度メーカー下がることがない。
だって面白いし。
人間臭くてたまらないなと思った。
昔から誰にも似てなかったけど、今でも全然誰にも似てなかった。

ラッドウィンプスの曲に、
「別れても君の一部が僕の中にある」みたいな曲がある。曲名忘れてしまったけど。なんだっけな。
でも、本当にこの通りだなと私も思う。


人と出会って別れて、
付き合ったり、付き合えなかったりして、結果別れて、もう金輪際2度と会うことがなかったとしても、

好きな人からもらった良い影響や、もらった言葉は、永遠に自分の中で息をしている。


それってなんだか、すごく尊い。


「綺麗なものは自分で見つけに行くんだよ」と、あの日教えてくれた人は、
今や私の知らない世界で、謎の人気で囲われているけど、

「見てー、これ上手く撮れたと思うんだー!」って私に見せてくれた写真は全て、社名となったあの子の写真ばかりだったこと。

信者みたいなファンたちは、多分その子の存在すら知らないこと。

ちょっとだけ優越感と、永遠に叶わないなぁという敗北感が混ざり合って、なんだかカフェオレみたいにいい感じだ。うーん、奥深い味!

まだまだ知らない感情がこの世界にあることって、ちょっぴり希望だ。そんな風に思って、デジタル水晶玉ことFacebookさんに、少しだけ感謝して、ブラウザを閉じた。

綺麗なものを、ちゃんと自分の力で見つけにいこうと思う。
ちゃんと、自分の見たいものにピントを合わせて。楽しいことに、ピントを合わせて。

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寿マーガリン
犬飼いたい

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