触れた言葉でできている
mixi2なるSNSは彗星のごとく。
クラブハウスやスレッズばりの速さで日本のインターネットを駆け巡った。
一夜にしてアイコンが青い鳥だった時代のTwitterがあちこちに復活した。人々は好きなものについて語り、鳴き声のようにネットスラングを呟き、マターリとしたインターネットタイムを味わっている。
観測している限り、mixi2では男女の対立を煽るような主語デカ論争は起きていないし、ジェンダー、トランス、ポリコレ論争などの問題も誰もやっていない。
というか、やってる人はいるのかもしれないが、見なくて済む。勝手に流れてこないから。
人の怒りや、過激な言葉、過激な露出、他人の性的な発言が聞こえてこないSNSは、死ぬ前に見る夢みたいな居心地の良さだった。
まるでサンボマスターの世界はそれを愛と呼ぶんだぜが流行っていた頃の、そう、電車男がドラマになった頃の平和で楽しいインターネット。これからの未来が明るいと思わせてくれるような素敵な世界だった。みんな好きなお菓子の話とかしてる。大きなフォントでわざわざ「たけのこの里」とか書いている。
実にどうでも良くて、居心地がいい。わざわざ電波に乗せる必要のないようなダジャレとか。いてらー、とか、ほかてらーとか言ってる奴がいる。「岩男となりて、ロックマンやん」とか。
嗚呼、なんて穏やかなインターネット。
ぬるめ40度源泉掛け流し温泉。
誰も傷つけあったりなどしない。
互いの「おもしろ」を見せ合い、笑い合う。
実に穏やかな電波通信。
ハローハロー、僕から世界。応答願います。が過ぎる。
ずっとこんな夜が続いてほしい。
みんな、ここにいたんだね。。
そんな風に思った。
人間は、触れた言葉でできている。
優しい言葉で育った人は、優しい言葉を使うように。
厳しい言葉を言われ続けた人は、自然と厳しい言葉が出てくるように。
そりゃ人にもよるだろうけど、
人って触れた言葉で作られていくように思う。
柔らかくてマイルドな言葉が好きだ。
四角よりも丸の方が好きだし、
キッパリ、よりも、ぽにゃーん、が好きだし、
ピシッよりも、もぎゅっが好きだ。
ハダカデバネズミよりもマーモットが好きだし、
アレキサンドラトリバネアゲハより、シロナガスオオクジラとかエトピリカのほうが好ましい。
私は、そういう言葉にたくさん触れたい。
Twitterに流れる鋭利な言葉を黙って眺めていると、心がザラザラするなと感じる時がある。
そういう日は、自分から出てくる言葉もチクチクしているし、黙ってられないから使ってしまうけど、あんまり良い事じゃないンゴよねぇ〜。
もっと穏やかで、柔らかい言葉に触れたいな。
物語でも、色彩でも、料理でも、音楽でもそう。
私の世界がいつまでも柔らかくて、ぽにゃーんとした世界であって欲しいから。
mixi2のTwitter老人会を見ていたら、「こういうインターネットスラングが好きなんだよーーっ!コレコレコレコレ!!!」というタイプの、柔らかくて面白い言葉がゴロゴロしていて、つい嬉しくなってしまいました。
じゃぁmixi2へ日記書けよと思うかもしれませんが、noteはnoteでもう9年もやってるので、、、習慣ですよねぇ。。
昨日たまたまDMをくれた方が、
私の文章が大好きですと言ってくれて、「書く事で、言語化する事で乗り越えてきた人の文章だって、すぐわかります。」みたいな事を言ってくださり、とても嬉しかった。
思い返せば中学生の時に書き始めたlivedoorブログから、mixi、Twitter、note、Kindleと、私ってずっと文章を書いて生きてきた。
人に見せない用の、自分がただ書き出してるだけの手書きノートとか、iPhoneのメモにも600件近くひとりごとが書いてあるし。
触れた分だけ何かを吸収して、ちゃんと自分のチカラに変えられているのだろうか。とか一瞬思ったけど、そういうことのために書いてるわけじゃない気がする。
脳内でいつも音楽が流れていたり、脳内で音声ありで1人で会話していたり、私の脳みそって結構うるさいから、文字にして書き出さないとぐっちゃぐちゃになってしまって耐えられないダケな気もするなぁ…。
こうして身も蓋もなく、オチもヤマもない胸の内を書き出してる時が1番落ち着く。
私のこういう文章は、曼荼羅みたいなものなんだと思った。書き出すことで精神が整い、上手く出来たら誰かにちょっと見て欲しいな♪みたいな。
世界一カジュアルな書き曼荼羅。
こうして書き終えられた時は、不思議といつも気持ちがいい。