ショートストーリー 「韻-aholic」
俺はかつてラッパーだった。
毎週末ステージに上がって、マイクを握り、クラウドを沸かせていた。
自主制作でLPを1枚、12インチシングルを2枚作ってもいる。
現役時代、俺は韻を踏むことに文字通り命を賭けていた。
いいライムを思い付いた日は100点、思い付かなかった日は、他にどんないいことがあったとしても0点だった。
当時の俺にとっては、なにを話すかよりも、センテンスごとに韻を踏むことのほうが遥かに重要だった。
飲み屋でムダ話をしている時でさえ、ひと言目とふた言目のケツが韻を踏んでいないと気持ち悪くなってしまうぐらい押韻に固執していた。
そんな韻狂いの俺がラップから足を洗ったのは、ちょうど一年前のことだった。
韻を踏むことにこだわり過ぎたせいで神経症になってしまったのだ。
俺は、医師が下した診断をすぐには受け入れることが出来なかった。
自分がそのような問題を抱えることになるとは夢にも思っていなかったからだ。
しかし勤務先の同僚らは、俺の様子がおかしいことに早くから気付いていたようで、入院するふた月ほど前からたびたび体調を崩していた俺に、再三にわたって、まとまった病気休暇を取るよう勧めていた。
「なあ鈴木。今度めまいを起こしたら、必ず俺の知ってる病院で診て貰うんだぞ。中学ん時の同級生が医者をやっていて、そこに勤めてるんだよ」
部長はある日、俺にそう勧告した。
その日は…と言うか、その日も朝から気分が悪く、早退を願い出ようか迷っていた矢先のことだった。
今にもぶっ倒れそうだったが、俺は一種の反抗心から、無理やり笑顔を作って「あはは。了解っす!」と答えた。
そして倒れた。
部長は「ほーら言わんこっちゃない」とでも言いたげな顔になり、俺を病院へ連れて行くよう同僚に命じた。
病院は会社から車で30分ほどのところにあった。
到着するなり、俺は診察室に通された。
そこで待っていた部長の同級生だという医師は、見た目が非常に若々しく、とても50代には見えなかった。
細身で、日に焼けていて、髪はふさふさで黒々としており、ヴィンテージものと思しきべっ甲の洒落ためがねがよく似合っていた。
ミシュランマン(1980年代初頭にデザインされたヴァージョン)みたいな体型をしたウチの部長とはエラい違いである。
医師は柔和な笑顔で自己紹介を済ませたあと、表情を一変してこう切り出した。
「鈴木さん。率直に申し上げます。ラッパーとしての活動をおやめなさい。そうしなければ、あなたは今に気が狂ってしまうことでしょう」
「部長がなにか言ったんですね?」
「ええ。あいつからあなたのことを色々と聞いています。私はその情報を元に診断を行いました」
「勝手なことを…」
「私の見立てでは、あなたの神経症はすでに重症と言えるレベルに達しています」
「ほぉー」
「でもご安心ください。当院は心の病気に対して、非常に高いレベルの医療を提供しておりますからね。殊にデンマーク出身の精神科医ナンモ・ヤルキーセン博士が独自に開発したメソッドを用いた治療プログラムの運用実績には定評があり…」
「あの、先生」
「なんですか?」
「部長がなにを言ったか知りませんが、俺は心の病気なんかじゃありませんよ。とりあえず、このめまいをどうにかして欲しいだけなんです」
「だから、そのめまいが神経症に起因してるんですよ。そして、その神経症を引き起こしているのが他ならぬ…」
「ラップのせいじゃない」
「ラップのせいなんですよ」
「ラップの…」
「せいなんです」
「…」
「ひひ」
「ふん。部長が余計なこと言うから…」
「あいつの話によると、あなたはある時期から、報告書をはじめ、企画書、プレゼン資料、果ては取引先への謝罪メールに至るまで、ありとあらゆる文書を韻文で書くようになったそうですね? どう考えたって異常ですよ」
「韻を踏んだのは…たまたまです」
「毎回?」
「ええ」
「そんなことあり得ないでしょ。子供みたいな言い訳はおよしなさい。さっきも言ったように、とにかくラップをやめて…」
「イヤだ。俺は帰ります。ドラッグストアでトラベルミンでも買って飲んで、自分でめまいを治すことにします」
「まあそのような薬を飲めば、めまいは一時的に治まるかも知れません。しかし根本的な解決にあたらない限り…」
「Yo-Yo、リスン…」
「ちょっと、鈴木さん」
「あは、あは…」
「鈴木さんってば」
「イエ、あは、チェック…。ラップやめたら俺じゃなくなる、苦楽がなくなると暗くなる、落ちてく気分、朽ちてく自分、だから声高らかになにが宝か、いちゃもんはスルーしてここに宣言する、俺はずっと韻を踏み続ける、言葉をビートに産み付ける、俺を踏み付ける奴はやっつける、分かるまで躾るケリを付ける、耳に注ぎ込むミュージック、鈍い野郎は食ってろロジック、器用な奴にゃ用がない、賢いだけじゃしょうがない、アタマで創りゃ同じになる、ハートを込めてこそオリジナル、俺は誰にも似ない、トレンドと寝ない、生まれ持っての個性でもって渡世、いつもギンギンまるでオットセイ」
「鈴木さん。いいですか? あなたは病気なんです。今すぐラップをやめないと…」
「人生ヒップホップ、目指すトップ、Never stop、やめる気なんかねえ、そんな顔すんなよ先生おっかねえ、つーか貸してよお金」
「あのね、鈴木さん…」
「今月もまたびんぼう、給料日までじっと辛抱、毎月ぎりぎりでくぐるリンボー、雨雨雨の天気予報、てーへんだてーへんだ、ここが格差社会の底辺だ、牛丼、カレー、牛丼、カレー、うどん挟んで、牛丼、カレー」
「おい佐藤くん。鎮静剤を用意してくれたまえ。とびっきりキツいやつを」
「はい。先生…」
「俺ら庶民はアンラッキー、起こしてやろうか土一揆、遥か後方スタート地点、走り出すなりすぐ捻転、失点失点すってんてんで、てんでダメでもノリはラテンで、いつか行きたい粋なバカンス、南フランス、コートダジュールかプロヴァンス、陽が傾いたらワインとダンス、そして甘いロマンス、でも現実は空っぽのタンス、ねえわヘソクリがっくり、どうすりゃいいんだやり繰り、俺にゃ出来ねえひったくり、結局そっくり先送り、我に返ってシラける、いやむしろウケる、かくなる上は自虐、すすんで咥えるボールギャグ、自縄自縛、つーかただの自爆、軽い軽い引き出しをあえて開ける、新喜劇よろしくズッコケる、上段、中段、下段、伏せろGet down、導火線に火がついたデカい爆弾、プラザ合意がすべての発端、なんせ奴らはタイタン、豪胆かつ大胆、隠そうともしない魂胆、このままじゃヘタすりゃ財政破綻、にもかかわらずボタンを掛け違えるアンポンタン、とことん残念、或る国の晩年、アレが弾ける平成三年、郵便局員に支給されたネクタイはピエール・カルダン、扇子フリフリ見ないフリするSundown、確実に落日、直視せよ現実、見よあれが日出ずる処ジャパンだ、マハラジャとボディコンとイタめしとシャンパンだ、それが今じゃ加工乳と見切り品の菓子パンだ、噴飯だ、誰が戦犯だ? 返さなきゃパンダ、寄ってけ素人アンデパンダン…」
「あの…」
「作家落語家発明家、記者医者役者テレビ司会者、アイドル弁護士漫才師、レスラーシンガーYouTuber、取り込めタレント票田はファンだ、なには無くとも勝ち目はあんだ、一言一行なんでも感嘆、連中曰く推ししか勝たん、結果愚民政策に無自覚に加担、応援に駆け付けた議員先生がご登壇、道を説きつつ車道を横断、右も左も同じ穴のムジナ、バレバレの手品、思い出と思い入れが鈍らせる判断、騙すのも騙されるのも同じくらい簡単、そりゃ妙な奴らも手を挙げるわこりゃ儲かると、掲示板は今やカルト・オカルトのアラカルト、思想のないダダ、ただの駄々、勘違いした女が露出する肌、やったもん勝ちの笑えない漫談、9分間のテレビCMがたったの300万だ、チャンネル変えれば論破芸を披露し合う論壇、なんか生きてんのがイヤんなって来たわ段田男、もといだんだん、脳が溶けて来たよ〜ん、ダダ〜ン、ボヨヨンボヨヨン」
「鈴木さん。ラップを止めないと本当に注射しますよ。いいんですか?」
「吸うヤツと食うヤツは好きだが注射は嫌いだ、俺は21世紀のイージーライダー、やるのはクサとキノコだけ、どこへやった? 俺のミナミシビレタケ」
「仕方あるまい…。佐藤くん、消毒」
「はい。先生」
「詩書く資格なんかない、立ち止まったらアンモナイト、だからサクサク書く、かくかくしかじか、近々、じゃなく今すぐ書く、真四角、じゃなくても滑稽でもオッケー、丸や三角外れる規格、失格覚悟のアウトサイダー、俺が司祭だ、ようこそここは押韻縛りの結界だ、意識と無意識を行ったり来たり徘徊しながらフリースタイルで俳諧だ、勘で書く、ただ感覚で書く、でかく、夢描く、理想は高く…」
「ハイ、じゃあ注射しますよ〜」
「でも時に抱く不安、取る不覚 No fun、なんで泣く? Don't cry 、あとどんくらい? いつかきっとカネになる才覚、一攫千金ペン抜く刺客…。いでっ!」
「は〜い、鈴木さん横になってー。そうそう、そうです。ゆっくりゆっくり…」
「汗もかく、深く、あたまも下げる恥もかく、転んだらまた立ってあたま掻く、誰かと比較、しないで次の画策、とかく書く、見上げる空は8…画、かっ、かくっ、かっ、かっくぅううう〜ん…」
俺はそれきり気を失ってしまった。
ひとり部屋の病室で意識を取り戻した時には、丸1日が経っていた。
頭がぼーっとしてはいたものの、自分が置かれている状況はちゃんと把握することが出来たし、前日の出来事も全部覚えていた。
とにかく喉が渇いていた。
俺はベッドから起き出して、足元に揃えて置いてあったスリッパを履き、水を求めて病室を出た。
左を向くと突き当たりに洗面所があったので、おぼつかない足取りで、時折壁をつたいながらそこを目指した。
10歩ほど進んだところで、ようやく俺は、自分が薄いブルーの入院着を着ていることに気付いた。
左胸にオレンジ色の刺繍で「あおむ市精神医療センター」とある。
はぁ…こんなことになるなんて。
ふと見た窓に、マンガに出て来る科学実験に失敗した博士みたいな髪をした自分がうっすらと映っていた。
そしてその向こうでは、朝陽がギラギラと照り輝いていた。
かと思いきや、よく見れば、それは隣接したビルの窓ガラスに写し取られたニセモノの太陽だった。
ふいに女たちの顔が脳裏に浮かぶ。
さくら、すみれ、あおい、ゆり、らん、かえで、リリー、ローズ、アイリス...。
入院したことをインスタで報告したら、誰が一番に見舞いに来るだろう?
まあアイリスじゃねえことはたしかだよな。
先月シカゴに帰っちゃったんだもんな。
つーか、そんなことより会社に連絡しなきゃ。
いや、違う、猫だ。
会社なんかより猫だよ。
さぞ腹空かしてんだろうなぁ。
部屋には冷房を入れて出て来たし、給水ボトルも満タンだったから大事には至ってないだろうけど、餌をやんなきゃ。
どうしよう?
うーん。
とりあえず、あおいに世話を頼むか。
あいつマンションの鍵持ってるし、猫も懐いてるし…。
半分靄が掛かったような頭でそういったようなことを考えているうちに、洗面所に辿り着いた。
蛇口をひねる。
水が出た。
飲んだ。
水道水の意外なうまさに感動しながらガブガブ飲んだ。
乾いた身体の隅々にまで、水がすーっと染み渡って行くのを感じる。
まるで植物になったような気分だった。
となると、次は日光だ。
洗面所のすぐ脇の階段を使って1階に下りる。
途中、何人かの看護師と出会したが、特に怪しまれているようには感じなかった。
そりゃまあ当然と言えば当然なのだが、黙って病室を出て来たことに後ろめたさを感じていたため、彼らの視線が気になったのだ。
1階に着いて初めて、俺は自分の病室が3階にあることを知った。
自動ドアを抜けて外に出る。
熱気。
一瞬にして視界が真っ白になった。
言葉が口を衝いて出る。
「光が目を射る、俺はいまここにいる、ただ見えるものを見る、緑が目に沁みる、木の葉が舞い散る、風を感じてChill、みるみる元気が満ちる、青い鳥チルチルミチル、灯台下暗し、懐う普通の暮らし、もううんざりだ嵐、日の光に自分を晒し、味わう自由、目を閉じれば不安は杞憂、俺はヒップホップ界の阿久悠、汲めども尽きぬアイデアの泉、もちろん時には浮き沈み、生じる歪み、でもそんなことは折り込み済み、いつ何時も自己肯定 This is me」
視線を上げると、少し離れたところにあるベンチに老人が座っていた。
口を開け、浴衣の前をはだけており、ハダシだった。
俺は老人の元へ行って声を掛けた。
「Yo、爺さま」
返事がない。
老人がどういう状態なのか知る由もなかったが、ものごとを認識している可能性もあると考え、老人を相手にフリースタイルラップをした。
「Yo、爺さま、感じるかお日様、いま8月だ季節はSummer、あんたに目の前の景色が見えてんのかどうか俺には分からねえが、なかなかのもんだぜまるでモネの名画、俺はもうすぐ40になる、気持ちは若いが身体が発するシグナル、あちこち痛んで来たし、近所の医院はすでに御用達、でもあんたに比べりゃまだ青二才、半分おっさん臭いが半分青臭い、俺はあんたのことをなんにも知らない、知ってるわけがない、善人か悪人か、偉人か聖人かはたまた異星人か、でもまあ長く生きて来ただけでとりあえず立派、敬意を表してやるよ俺のスリッパ」
反応はなかった。
俺は自分のスリッパを脱いで、座っている爺さんに履かせてやった。
とその時、背後から聞き覚えのある声がした。
「おや鈴木さん…」
嫌な予感がした。
そしてその予感は的中した。
おそるおそる振り向くと、俺を昏睡に陥らせたあの医師が立っていやがったのだ。
「あ、先生。…い、い、いまのは違うんです」
「違うって、なにが?」
「いや、だから…」
すっとぼけやがって。
こんな真後ろにいて、俺のラップが聞こえなかったはずがないだろうに。
訝しむ俺を尻目に、医師は顔色ひとつ変えないで話を続けた。
「病室に戻りましょう」
「あのう、もう少しここにいたいんですけど…」
「ダメです。戻りましょう」
「リラックスしたいんです」
「リラックスすることはたしかに大事ですね。しかしながら、今は外部からの刺激を遮断する必要があるんですよ。そういう段階なのです。治療が順調に進んで症状に改善が見られたら好きなだけ庭に出ていいですから、今日のところは病室に戻りましょう」
「…」
「さあ鈴木さん。病室に…」
「イヤだと言ったら?」
「フフ…。理解して頂けるように努めます」
「…分かりましたよ」
「ご理解頂けましたか?」
「ええ。要するにラップをやめりゃいいんでしょ? 俺はもうラップをしません。金輪際しません。やめたらここから出してくれるんですよね?」
「まあ、そう焦らずにゆっくり治療しましょう」
「だから俺は病気じゃないんですよ」
「病気なんです。100%病気なんです。昨日診察室でフリースタイルラップをしていた時のあなたは、完全に正気を失っていましたよ。白目を血走らせ、瞳孔をかっ開き、鼻の穴をおっ広げ、口のまわりを唾液でべちょべちょにしながら、人が制するのも聞かないで、トチ狂ったように喋り続けていたじゃないですか?」
「むむ。…じゃあいいですよ。100歩譲って俺が病気だったとしましょう。でもね、もしそうだとしても、俺はもうラップはしないんです。そう心に決めたんです。だからここにいたって仕方がないんですよ。俺にはやるべきことがたくさんあるんです。仕事もあるし、猫の面倒もみなければならないし、だから…」
「病室に戻りましょう」
「なんでよ…」
「ものを見るたびに、発音が似た別の言葉を探して韻を踏みたくなってしまうからです」
「なりませんよ。なりませんから、ここから出して下さい」
「あ、踏んだ」
「なにを?」
「韻ですよ」
「ウソ?」
「嘘じゃありません。『…なりませんから、ここから』って見事に韻を踏んでおられましたよ。いけませんね〜」
「ちょっと待って下さい。今のは韻文じゃないでしょ? 韻文ってのは、句末に韻字を置いた詩とか歌とかのことなんですから…」
「韻文かどうかなんてことは、この際問題じゃないんです」
「…どうして?」
「センテンスの半ばで発生する韻だって、歴とした韻だからですよ。いわゆる中間韻ってやつです。ラッパーのあなたには、インターナル・ライムとかミドル・ライムとかいった英語の呼び名のほうが馴染み深いかも知れませんね。まあとにかく、韻を踏んだこと自体が問題なんです」
「そんなぁ…」
「自分が病気であることを素直に認めて下さい。さあ病室に戻りましょう」
「…」
「戻りましょう」
「はぁ〜あ…」
「ため息つかないで下さいよ。私はあなたのことを思って進言しているんですから。仕事は休めばいいし、猫の世話は誰かに頼めばいい。世話を買って出てくれる人がいないのなら、ペットシッターかペットホテルを利用すればいいじゃないですか。とにかく今は会社よりも猫よりも、自分の健康を第一に考えて下さい」
「…」
「鈴木さん?」
「はぁ…。分かりましたよ。このまま言い争いを続けたって埒が開かなそうだし、一旦病室に戻ります。先生、どうぞ先に行って下さい。お忙しいんでしょ? 俺はのんびり歩いて病室に戻ります。なんせまだ意識が戻ったばかりだし、見ての通りハダシだし…」
「あ、また踏んだ。それも『だし、ダシ、だし』って連続して3つも!」
「…」
「重篤だなこりゃ」
韻を踏むことが、俺にとってほとんど無意識の習慣になっていたことはたしかだ。
それは否めない。
しかし、話をしている最中に偶然発生した韻を、わざわざ取り上げて騒ぎ立てることに意味があるとは到底思えなかった。
初診の時から感じていた医師への不信感は、今や極限に達しようとしていた。
あんたさぁ、俺のことを無理やり病人に仕立て上げようとしてるよね?
俺はそう言い掛けて言葉を飲み込んだ。
言ったが最後、それをきっかけに、昨日のように止めどなくフリースタイルラップをしてしまいそうな気がしたからだ。
此の期に及んで医師のことをクソミソに罵ったりなんかしたら、更に24時間気絶するハメになるに違いない。
いや、もしかすると今度は48時間か、あるいはそれ以上かも。
俺は気を落ち着けて、冷静に、礼儀正しく掛け合うことにした。
「先生様」
「なんですか?」
「誠に誠悦ながら、意見を述べても、よろしゅうございますでしょうか?」
「どうぞ」
「ありがたき幸せ。えー、お言葉ではございますが、話のなかで偶然…」
「韻を踏んじゃうこともありますよね」
「…」
「そんなことは百も承知なんです。私はそれを分かった上で、絶対に韻を踏まずに話す訓練をあなたに施そうとしているのです。あなたの、ともすれば韻を踏もうとする習癖を改めるためには、なにがなんでも押韻を回避するんだ、という意識付けを行う必要があるんですよ。これはいわゆる認知行動療法の一種でして、デンマーク出身の精神科医ナンモ・ヤルキーセン博士が独自に開発した…」
この時、頭のなかでなにがかが弾けたような音がした。
そしてそれを合図に、俺のなかに棲むライムアニマルが鎖を引きちぎった!
「おいドクター、俺のことを塵芥かガラクタ、みてえに扱いやがって、あんたはあまりに手前勝手、許さねえぞ絶対、これは医療の失態、まさにスキャンダル、あんたは必ず獄に下る、治療が必要なのはあんたのほうだ、あんたは阿呆だ、奇態だ、ケッタイだ、ボケーっと突っ立ってないで、チェックしなそのアタマMRIで!」
やってしまった…。
俺はやってしまったのだ。
やってしまった以上、弁解の余地はもうない。
なんせ、みすみす自分が病気だと言うことを証明して見せたようものなんだから。
チーン。
絶望に立ち尽くす俺を睨み付けながら、医師は白衣のポケットからスマートフォンを取り出し、どこかへ掛けて話し始めた。
「あ、僕だ。いま中庭の池のほとりにいるんだがね、2人ばかし応援を寄越してくれないか。救急患者が出た」
通話が終わるが早いか、さっき俺が出て来た病棟の出入り口から、看護服を着た男がふたり、勢いよく飛び出して来た。
前と後ろに分かれて担架を担いでいる。
「おーい。こっちだこっちだ」
医師が手招きをしながらそう言って呼び寄せると、彼らはタッタッタと足音を立ててこっちへ向かって来、目の前でピタッと止まった。
「患者は彼だ」
医師は俺を指差して、彼らにそう言った。
彼らは手際よく俺を担架に乗せると、まるでチャーシューでも縛るみたいに、きつくきつくストラップを締めた。
煮崩れしたりしないのに…。
結局、俺はそのまま治療室に担ぎ込まれた。
部屋に入るなり、看護師たちは俺を担架から解放して椅子に座らせた。
そして後ろ手を組ませた上で、拘束ベルトで背もたれに縛り付けた。
彼らは仕事を終えると、東大寺の金剛力士像みたいに対になって、椅子を挟む形で両脇に立ち、カネと力のない極めて典型的な色男を見下ろした。
程なくして医師が治療室に入って来た。
彼は入り口近くにおいてあったキャスター付きの事務椅子に腰掛けると、床を蹴ってそれをすーっと滑らせた。
そして俺の目の前まで来たところで、両足を踏ん張ってブレーキを掛け、止まった。
「鈴木さん。じゃあ治療を始めましょうか?」
「…」
「始めますね。これを被りましょう」
医師はラグビー選手が被るようなヘッドギアを俺の頭に被せた。
「よく似合ってますよ。ちょっとじっとしてて下さいね」
ヘッドギアの後頭部にケーブルが一本、接続される。
「…な、な、なにをされるんですか、俺は?」
医師は俺の質問を黙殺した。
そしてデスクの上の缶コーヒーを開封してグイと飲み干し、ポケットから取り出した小さなミカンを、その缶の上に乗せた。
「鈴木さん」
「はい…」
「これはなんですか?」
医師はそう言ってミカンを指差す。
「それは、アルミ缶の上にあるミカン…」
「やっぱり重症」
「卑怯だぞ!」
「どうしてですか?」
「明らかな誘導尋問じゃないですか!」
「そんなことはありませんよ。だって、これアルミ缶じゃなくてスチール缶ですからね。よく見て、よく考え、落ち着いて答えれば、韻を踏まずに済んだのです。結局のところ、心構えの問題なんですよ。隙あらば韻を踏んでやろう、と常に身構えているから、今みたいに事実を誤認しちゃうんです。きっと韻が踏めそうな言葉の組み合わせを発見した時点で、ドーパミンがじゃーっと出ちゃうんでしょうね」
「…」
「鈴木さん」
「…なんですか?」
「歯を食いしばって」
「なんで?」
「行きますよ」
「い、行くってどこへ…」
「ポチ」
ビリビリ、ビリビリビリビリ…。
電気だ!!
「んぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!」
「絶対に韻を踏んじゃダメです。踏んだらこのように電流を流しますからね」
「ハァ、ハァ、ハァ…。あの、口頭で注意してくれれば分かりますから、電流は勘弁して貰えませんかね? 俺、動物じゃないんで…」
「韻を踏まなきゃいいんですよ」
「それは分かってるんです。分かってはいるんですけど、頭の働かせ方を急に変えることは出来ませんよ。なんせ俺の思考は長い訓練の末にラップ専用…」
ビリビリビリ…。
「ぬおおおおおおおおおおぉぉぉーっ!」
「韻を踏んじゃダメです」
「ハァ、ハァ…。先生、ちょっと待って。俺だってこまって…」
ビリビリビリビリビリ…。
「ぬばばばばばば!」
「押韻、ダメ、ゼッタイ」
「アア、アア、アアアア…」
「もしもし鈴木さん?」
「…」
「大丈夫ですか?」
「ダイジョブないです。頭がいてぇ。そればかりか意識が遠のいて...」
ビリビリ…。
「んなあああああぁぁぁぁぁぁー!」
「鈴木さん?」
「...」
「なんですぐ韻踏んじゃうかな…」
とまあ、治療が始まって最初の1週間は、ずっとこんな調子だった。
しかし日を追うごとに、俺はこのゲームのコツを掴んで行った。
思い掛けず韻を踏みそうになったら、瞬時におなじ意味を持つ別の言葉に言い換えて、押韻を回避することにしたのだ。
たとえばこんなふうに。
気候は温暖、リソースはふんだん、でも社会は分断、政治家達は同じ轍を踏んだ。
気候は温暖、リソースは潤沢、でも社会はdivided、政治家達は同じ失敗をした。
俺は寝る間を惜しんで同義語の暗記に勤しんだ。
その甲斐あって、治療開始から3週間後には、一度も韻を踏まずに2万字の短編小説を書けるまでになった。
これに感銘を受けた医師は、俺を治療成功例として院内のカンファレンスに引っ張り出し、壇上に上げて「絶対に韻を踏まない漫談」をさせたりもした。
結局、俺は2ヶ月あまりで退院することが出来た。
退院後も週1回の通院を命じられたが、経過が良好だったため、それも2ヶ月で終了した。
最後の診察の日、医師は俺の肩に手を置いてこう言った。
「鈴木さん。よく頑張りましたね。ひとまず完治したと考えていいでしょう。今のあなたの状態を鑑みるに、音楽活動を再開してもおそらく問題ないんじゃないかと思います。ただし没頭し過ぎるとまた神経症を患ってしまう可能性があるので、節度を守って韻を踏んで下さい。無意識にフリースタイルラップを始めてしまうような状態に逆戻りしたら、また電気ビリビリですからね。ハハハ…」
かくして先生からお墨付きを得た俺は、治療が終わるや否や、韻文を書き始めた。
と言っても、ラップのリリックではない。
まあ正直言えば、再びステージに上がってマイクを握りたかったのだが、病気がぶり返しそうな気がして、自重した。
あの電気ショックは喰らうのはもうゴメンだ。
では、俺は一体なにを書いているのか?
くどくど説明するよりも、書いているものを実際に見て頂くとしよう。
いろは町ワイナリー「いろはシャルドネ 750ml」
口に含めば 広がる景色
春夏秋冬 繰り返す四季
聳える山々 吹きおろす風
見たことのない色 見えるのはなぜ
香り爽やか でも単純じゃない
洋梨 メロン 青リンゴ レモン
コーラスみたいなハーモニー
まるでポールとジョージとリンゴとレノン
喉ごしスッキリ 辛口ワイン
舌に微かに感じるパイン
ランチにディナーに 選ばないシーン
舌の上で風味が Dancin'
安心安全 Made in 日本
常時ストックしておきたい一本
程よい酸味 甘味 果実感
飲めば分かるさ 必ず実感
お分かり頂けただろうか?
そう、俺は韻を踏むスキルを活かして、商品やサービスの広告文を書いているのだ。
ちなみにこのワインの広告文は、俺のプロとしての初仕事、要するに初めてカネを貰ってやった仕事だ。
韻文広告を仕事にしようと決めてから、このオファーを受けるまでに、なんと7ヶ月も掛かった。
この間、俺が企業や広告会社に送ったDMの数は、ゆうに3万通を超える。
宣伝文のサンプルを添付したメールを作成しては送信する、という地道な営業活動を、俺は7ヶ月間辛抱強く続けたのだ。
腐らずに、毎日、毎日。
自分でもよく頑張ったと思う。
この広告文はネット上でちょっとした評判を呼び、その後だんだん仕事の依頼が舞い込むようになって行った。
以下に、俺が手掛けた広告文を幾つか挙げておく。
亀亀堂本舗「パームたわし」
たかがたわし されどたわし
バカにする奴ぁ市中引き回し
スポンジよりもずっと丈夫
ゴシゴシやっても大丈夫
素材はパーム a.k.a. ココナッツ
予備を持っとけ 7つか8つ
みんなで擦ろう ごーしごし
Fast & Slow ごーしごし
食材 食器 シンク まな板
使い古した時 俺は泣いた
用途が少ない? なにをおっしゃる
屋外でも発揮するポテンシャル
タイヤ洗浄 木材 石材
靴のお手入れ 柄付きも御坐い
汚れを落として 輝く未来
心もたらいで Let's まる洗い
サンエヌ工業「強力布テープ 50mm×25m巻」
仮留め 貼付 固定 梱包
擦れにも負荷にも強いぜ めっぽう
使うなら絶対この布テープ
時間が経っても状態をキープ
縦にも横にも手で切れる
あとを残さず綺麗に剥がれる
圧倒的な使い勝手
騙されたと思って一度買って
ドギーマギ社「素材厳選ドッグフード 小粒ちゃん」
飼い主にとってワンちゃんは家族同然
だからごはんにこだわるのは至極当然
食べて安心 100% 国産
味も抜群 きっと驚くコックさん
健康重視 栄養設計
半なまジューシー 仔犬にもOK
ずっとフレッシュな小分けパック
食の細い老犬も食いつく パクパク
UMA歯科クリニック 「スペシャル・ホワイトニング・コース」
当院おすすめのホワイトニングコース
コスパ最高 業界に旋風を巻き起こす
歯の色のお悩みを解決する100パーセント
治療の前にはもちろんインフォームドコンセント
掛かる時間は〆て1時間
前歯 奥歯 表面 裏 歯間
薬剤塗って当てる特殊な光
色素を分解する しっかり
口内の健康向上 歯質も強化
お陰さまで上々 患者さまの評価
光沢のあるステキな歯で
笑えば口元 咲く花 艶
五反田ぽっちゃり天国「カナ(22)B95 W82 H98」
紹介するぜ 当店のニューフェイス
近い将来 きっとトップ獲るエース
おぱいはメロンでお尻はピーチ
特別授業は放課後 Teach
源氏名はカナ 表記カタカナ
こんないい子 今まで居たかな?
迫力満点 太ももThick
にくにく 至高のテクニック
バストはなんとLカップ!
絶対貰った ワールドカップ
つるつるお肌は まるでプリン
Mっ気たっぷり ぷりんぷりん
感度良好 マシュマロボディー
ピロートークとラプソディー
延長必至 何分だ?
たっぷんたっぷん 発奮だぁ!
俺にとって、この仕事はまさに天職だ。
でもこれだけじゃとても食えないので、復職した会社でサラリーマンをしながら、空いた時間を使って広告の仕事をしている。
いま現在は月に5〜6件の仕事を請け負っており、報酬は1件につき2〜3万なので、1ヶ月あたり10数万の副収入を得ていることになる。
まあ大した額じゃないが、しがないサラリーマンにとっては結構デカい。
特に急な入り用が発生した時なんかは、とても助かる。
そんな時には、考えようによっちゃ病気になってよかったのかも知れないな…などと思うこともあるぐらいだ。
なんせラップでは、まったくと言っていいほどカネを稼ぐことが出来なかったし、ステージを降りたあとファンに酒を振る舞って足が出る、なんてこともしょっちゅうあったのだ。
とは言え、俺は過去を否定するつもりは毛頭ない。
あの狂ったようにラップに没頭していた時期がなければ、韻を踏むスキルを得ることは絶対に出来なかったのだから。
まあ紆余曲折あったものの、俺はいま理想的な生活を送っている。
広告の仕事は心から楽しんでやっているし、本職のほうも、決して面白くはないが、まあなんとかやっている。
体調不良を起こすこともなく、気分が安定しているし、自分をコントロールすることも出来ているし、他の誰でもない俺が俺の主人、生きてることに感謝メルシー、血統不明の無印、そうさ俺はただの駄馬、しかし最後の最後つかむ札束、ゴール手前で差し切る、ライバルは容赦なくペンで斬る、圧倒的な押韻のスキル、これで稼いで悠々生きる、乗って来たな、盛り上がって来たな、よみがえる万能感気分はトニー・モンタナ、もう我慢ならん、魂の反乱、むかし取った杵柄でかっ飛ばすホームラン、俺に倣いなそこのマイナー、一発喰らいなこのライナー、偽物も見せ物もいっぺんに黙らす、まとめて蹴散らす、フロアに感涙の雨を降らす、轟く美声まるでマリア・カラス、レディース・アンド・ジェントルメンお待ちかね、やっぱ俺にはラップしかねえ、さあこっち寄越せマイク、さながら芭蕉の俳句、みたいにイケてるフレッシュなライム、ギュッと絞ってWhat time? 午前零時、オン・ザ・ステージ、めくるパンチラインの広辞苑のページ、めくるめく勢いで語る文化経済政治、女たちには愛のメッセージ、添えるデイジー、ヴァージンからご婦人まで一網打尽、俺は当代きっての韻踏む名人、書くリリックは全部アメイジング…。