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ショートショート 「魔神の言い分」

真冬にしては暖かな日曜の午後、男はひとり街を散歩していた。
と言っても、別に好きでしていたわけではない。
カネを使わない暇つぶしが他に思い付かなくて、仕方なしに歩いていたのだ。
中学生の時にエロ本を拾ったガレージを突っ切って大通りに出、25年前に受験に失敗した大学の前を通り過ぎると、いつも利用しているスーパーに行き当たる。
この日は軒先で古本市が開かれていた。
立ち寄ってみる。
本はジャンル分けされ、整然と棚に並んでいた。
SF、ミステリー、歴史小説、時代小説、恋愛小説、女流文学、ライトノベル…。
数あるジャンルの中から、男は児童文学を選んだ。
漢字が少ないからだ。
男はほとんど本を読まなかった。
じゃあなぜここへ立ち寄ったのか?
暇だからだ。
棚の前に立ち、まるでデータをスキャンするみたいに、背表紙を左から右へ順に見ていく。
人魚姫、親指姫、白雪姫、花咲か爺さん、こぶとり爺さん、仮面ライダーG3…。
誰かがイタズラしたのだろう、ジャンルが違うものも混じっていた。
ひと通り眺めた末、男は棚から「アラジンと魔法のランプ」を抜き取った。
小学生の時、夏休みの宿題で、この物語の感想文を書いたことがあったのだ。
なぜこの話を選んだのか、その理由はすっかり忘れてしまったが、内容はだいたい覚えていた。
えーっと、たしか主人公のアラジンが魔法のランプを見付け、それを擦ると中から魔人が現れて願いを叶えてくれるって話だったよな?
男は自分の記憶が正しいかどうか確かめるためにページをめくった。
うん、やっぱりそうだ。
羨ましい限りだな…。
ふと視線を上げると、店の入口の脇にある宝くじ売り場が目に入った。
男は「アラジンと魔法のランプ」を棚に戻した。
そしてジーンズのポケットに手を突っ込み、昨日昼食を抜いてセーブした500円玉を握り締め、考えた。
1分、2分、3分…。
しかし、結局回れ右をして歩道に戻った。
うん、いい判断だ。
実にいい判断だよ。
男は歩きながら、壊れた獅子おどしみたいに何度も頷いた。
宝くじなんか買っちゃダメだ。
絶対にダメだ。
聞くところでは、宝くじを買って100万円が当たる確率は、交通事故に遭う確率よりも遥かに低いらしいからな。
俺は毎週末、朝から晩まで街なかを当て所なくほっつき歩いている。
にもかかわらず、これまでかすり傷ひとつ負ったことがないのだから、どう考えたって宝くじが当たるはずなんかねえんだよ。
男はいつもの散歩コースを外れて、田園地帯へと続く細い通りに入った。
喧騒とは無縁の閑静な住宅街をとぼとぼ歩く。
建っている家はどれもこれも巨大で、停まっている車は高級車ばかりだった。
レクサス、アキュラ、ベンツ、アウディ、BMW、SAAB、アルファロメオ…。
一瞬、男の心中に良からぬ考えが浮かんだ。
しかし、そのアイデアを実行する知恵もノウハウも度胸も、この男にはなかった。
男はアスファルトの上に転がったどんぐりを憎々しげに踏み潰しながら、くねくね曲がる細い道を進み、やがてぶつかった三叉路を左に曲がった。
そして、その先に続く未舗装の道をまっすぐ進むこと3分、目的地である小さな神社に辿り着いた。
一礼して鳥居を潜り、境内に入る。
参拝者はいなかった。
遠くでカラスが「かぁ」と鳴いた。
男はニヤッと笑った。
へへ…カラスのやつ、閑古鳥に先を越されてやがんの。
石畳の参道を歩く。
5、6歩進んだところで、カラスがまた鳴いた。
拝殿の前で立ち止まると、男はポケットから500円玉を取り出し、やっぱりしまい、再度取り出して、賽銭箱にポンと投げ入れた。
鈴、礼、礼、拍手、拍手、合掌。

「神様。あなたヒマなんでしょ? どうか私の願いを叶えて下さい。『アラジンと魔法のランプ』に登場する魔人に会いたいんです。それと、これからも交通事故に遭わないようお守り下さい。私は特にいいことはしていませんが、悪いこともしていませんから、それぐらいのご利益にあずかってもいいと思うんです」

男は願掛けを済ませると、拝殿に一礼して神社をあとにした。
未舗装の道を、来た時とは逆向きに辿る。
歩を進めるたびに足元で砂利がザックザックと音を立てた。
風は凪いでおり、空には雲ひとつなく、男が立ち止まると時間も止まった。
やがて三叉路に至り、右に曲がろうとしたその時、背後から野太い男の声がした。

「あの…」

男は反射的に振り返った。
すると5〜6メートル離れたところに、アーキネーターにそっくりなおっさんが立っていた。

「魔神です」

おっさんは軽く右手を上げて、そう自己紹介をした。
男はただ呆気にとられるばかりだ。

「あなたが会いたがっていた魔神ですよ」
「…」
「信じてませんね? 本当ですよ。私は本当に魔神なんです」
「…」
「正真正銘、ホンモノの…」
「ウソだ」
「ウソじゃありませんよ」
「じゃあ証拠を見せろ」
「証拠?」
「そうだ」
「あのう、つかぬことを伺いますが…」
「なんだよ?」
「あなたは何者ですか?」
「は…?」
「あなたは一体何者なんですか?」
「鈴木だよ。鈴木伸夫だよ」
「証拠を見せて下さい」
「へへ…。笑わせやがる」
「どういたしまして」
「礼を言った覚えはないぞ」
「てっきり褒められたのかと思いました」
「バカ。じゃあな」
「ちょ、ちょっと。せっかくホンモノの魔人に会えたというのに、もう行っちゃうんですか?」
「お前の相手をしている暇は…」

男はここで口籠ってしまった。
すかさず魔神が訊ねる。

「ないのですか?」
「いや。あるっちゃ、ある。あるけど、行く」
「写真を撮ってもいいですよ。書くものがあれば、サインをしてあげてもいいですし…」
「何様だ、お前は」
「魔神です」
「…」
「本当に魔神なんですよ」
「…」
「本当の本当に」
「…」
「疑り深い人だなぁ」
「あんた、ホントに魔神なのか?」
「はい」
「信じられん」
「あなたが信じようと信じまいと、私は魔神なんです」
「なんかよぉ、思ったより小っせぇんだよな。あんた170ねえだろ?」
「余計なお世話ですよ。じゃあさようなら」
「待てよ」
「なんですか?」
「あんたがホントに魔神なら俺の願いごとを叶えてくれよ」
「ヤです」
「なんで?」
「あなたは私のご主人様じゃないからです」
「俺がランプを擦ってあんたを呼び出したわけじゃねえからか?」
「さようです」
「ランプはどこだ?」
「アラジンさまの御殿にあります」
「取って来てくれよ」
「ヤです」
「ちぇ…。まあいいや。どうせあんたはニセモノなんだし」
「ホンモノですよ」
「あっそ。じゃあね」
「ホンモノなのに…」
「じゃあ俺の願いを叶えてみろよ。300万くれ」
「だからヤですってば」
「ケチ」
「ケチって…」
「どケチ」
「…」
「俺はカネに困ってんだよ。めちゃくちゃ困ってんの。不憫だろ? だよな? だったら助けろよ。さあ、早く300万くれろ。一万円札を300枚、くれ! くれ! くれ!」
「強盗なんかしたくありません」
「誰も強盗しろなんて言ってねえだろ」
「じゃあどうしろって言うんですか?」
「作りゃいいじゃねーか」
「通し番号はどうするんですか?」
「…」
「どうするんですか?」
「じゃあ…。じゃあどっかの貸金庫からくすねて来いよ」
「無茶苦茶言うなぁ」
「頼むよ〜、300万円くれよ〜。いや、下さい。ホントに困ってるんだって。サラ金3社から計270万借り入れがあるんだよ。困った困った、はぁー困った。困ったよぉ〜」
「コツコツ返せばいいじゃないですか」
「月の稼ぎが19万しかねえの! どう考えたって返せねえべ? あ〜ん?」
「じゃあ自己破産するしかありませんね」
「…」
「そうするしかありませんよ」
「分かった…。分かったよ」
「自己破産しますか?」
「しない」
「じゃあどうするんですか?」

男は不敵な笑みを浮かべた。
かと思うと、両手を自分の首に掛けて白目を剥き、舌をだらんと垂れた。

「ちょ、ちょっと…」
「ロープはもう用意してるんだ。押入れに入ってる。ホントだぞ。場所も決めてあるんだ。あんたが300万くれないと、俺ぶら下がっちゃうからね。マジで。ぶら〜ん、ぶら〜んって。いいの? 死んだら化けて出るよ。あんた知らないだろけど、俺のしつこさといったらもう凄いんだから。ヘビなんか目じゃないよ。あんたが根を上げるまで、毎晩毎晩枕元に現れてやるからな。これは脅しじゃねえぞ。マジで、マ・ジ・で、毎晩欠かさずお前の枕元に出てやるからな。覚悟しろよ」
「…」
「おい」
「…」
「ねえ」
「…」
「魔神さん」
「…」
「ねえ、魔神さん。頼みますよ。この通り!」

男は首の骨が折れたみたいにガクンと頭を垂れた。
しかし、魔神は絆されなかった。

「ヤです」
「クッソ…」
「決まりは決まりですから」
「ばーか」
「…」
「ばぁーーーーーーか」
「…」
「ホラ吹き。詐欺師」
「…」
「チビ」
「…」
「薄情もの。人でなし」
「ハハ」
「なにがおかしい?」
「人でなしって…」
「あ。そう言や、あんた魔神だったな」
「ひひ。それにしても人ってそんなにイイものなんですか?」
「なんの話だ?」
「あなたはいま『人でなし』と仰いましたけど、その言葉は、人が優れたものであるという前提に立って作られた言葉ですよね?」
「まあ…そうだな」
「私にはそうは思えないんですけど」
「ん…。いや、その、そりゃまあ、たしかにロクでもねえヤツも相当数いるよ。でも、いいヤツだってたくさんいる。実際に付き合ってみれば、あんただって分かるはずさ。人ってのも案外捨てたもんじゃないな、ってそう思うはずだよ」
「ホントですか?」
「ホントだよ。現に俺にもなに気兼ねなく腹を割って話せる20年来の親友が…」
「じゃあその人を頼ればいいじゃないですか」

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