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憧れの正社員
はたちで上京し、30歳の時にお笑い芸人を辞めて社会に潜り込んだ。
その頃のぼくにとっては、芸人をしていた頃のほうが地上だったので、一般社会で戦っていくことが潜ることになる。
今となっては一般社会も特殊な業界や裏社会もどっちが地上でどっちが地下なのかなんて垣根が無くなってきつつあるけれども。もしかしたらお隣さんは某有名YouTuberかもしれないしTikTokerインフルエンサーかもしれないし。
芸人を辞めてすぐは途方に暮れていた。芸人を辞めたキッカケはコンビの解散だった。その時の年齢が30歳で、さすがに新しい相方を探して芸人を続ける根性も、ピン芸人として再出発するエネルギーも残っていなかった。
精神的に落ち込んでもいたし金銭的にも底をついた状態。膝がくづれ落ちている状態のまま前に進む腐食した人間、いわゆるゾンビ状態ではとても人を笑わせることなんてできないと、芸人を続けることを無意識が拒絶していた。
しばらくの間、記憶がない。記憶がないのは、幼少期に母親と父親が離婚した時以来。人間、未来へのイメージがなくなってしまうと脳がフリーズしてしまうのかもしれない。それを絶望と名づけたのなら「絶望」かもしれない。
希望を求めハローワークに行くも、現実を突きつけられてまた地獄をみる。
高卒でアルバイトしかしておらず、30までまともに働いたことのない人間にとって「正社員」はとてつもなく高い壁に思えた。
一般社会イコール正社員と思い込んでいたこともあった。「正社員ならなんでもいい」とも思えず、求人を探すも「広告業界」「デザイン会社」「制作会社」みたいな検索をかけては「大卒」「経験者」などの強敵が立ちはだかり、一向に面接まで進めない。
なんとか営業職にたどり着いたものの、元お笑い芸人の経歴を買われての採用だったからやたらと「面白いこと言って」だの「お客さん笑わせてきて」だの上司からツンツン背中を押され、もう、鬱陶しすぎて半年後には退職していた。今思えば青臭い話だが、当時はものすごく嫌だった。芸人を辞めたくせに変なお笑いのプライドは持ったままの痛いやつだった。履歴書にバツをつけただけ。
これはあかん。そう思って実家に帰る。
当然、そのまま実家に帰っても就職活動は難航したわけで、結局、職業訓練などを受けて学び、浮上するのに3年くらいはかかってしまった。かれこれ5年。35歳の時にやっとあこがれの「正社員」になれた。
アルバイトはたくさんした。スーパーの惣菜部門で寿司握ったり。アマゾンの倉庫でピッキングしたり、警備や引っ越しもしたし。掃除もした。
この時期からずっと思っていること。
「出遅れてるからがんばらなくちゃ」ずっとこの焦燥感が付き纏っている。10年遅れて同世代と戦っていかなくてはいけないのだと。
ぼくは指のささくれをめくる癖がある、どうやら「皮膚むしり症」というらしが、今だにささくれをめくりすぎて血まみれになることがある。
そういえば名刺交換が嫌だった。指を見られることが嫌だから。
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