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noteの書き方を変えてみる

ぼくは普段、話すタイプの人間ではない。

頭の中では様々な言葉が駆け巡っているが、その言葉を口に出して人と積極的に会話をするような社交性はあまり持ち合わせていない。

昨日も、仕事のお昼休憩の時、

同じ時間に休憩に入ったスタッフ数人は、仕事中に我慢していたのか、休憩室の敷居を跨いだ瞬間から雑談が始まった。

「昨日のよるさぁ〜遅くまでネトフリ見ててさぁ、今日寝不足なんだよね。」

「あのドラマ面白いよね?みたことある?」

この2行を聞き取って、ぼくは気配を消すようにして休憩室の隅っこへいく。それ以降の会話は、タレントがセリフを噛んだときみたく「っ@%##&&mm」よくわからない記号の羅列に変換される。

情報が溢れている。もう入らない。だからぼくはカテゴリーを絞って会話をするようになってしまっている。選んでいる。

最近、会話っていうのは他人への共感を話し手側から一方的に強要するもではないかと考えている。価値観が合わないもの同士の会話は、どちらか一方が相手に主導権を譲る形でしか成立しないと感じる。ゆくゆくはこんなことにも「○○ハラスメント」みたいな、アホみたいな呼び名がつくのだろうか。勝手にしてくれ。ぼくは部屋の隅っこにいるから。

さて、ぼくは今までnoteを喋りかけるように書いてきた。

これには多少なりとも経緯(いきさつ)があるが、本来はさっき述べたように喋るタイプじゃない人間。もちろん無理をしている。親しくないのにタメ口で話されるのは好きじゃないし。

喋ることで言葉をつむぐ人間ではなく、思考で言葉を見つけていくタイプの人間だ。

本来は「だ・である」のような、ブツブツと独り言を言う人種なのだ。

人との会話が嫌いなわけじゃない。人が嫌いなわけじゃない。というより、一人で考えている時間がちょっとだけ好きなだけ。

散文的に書いて、形になった思考を持ち寄って、たま〜に会話するくらいがちょうどいい。

ということで、ちょっと実験的に書き方を変えてみようと思っている。

時間が経てば流れていく文章。
見つけることができなくなる文章。
見つからなくなる文章。

ぼくは、このくらいい加減でいいと思っている。

きちっとした文章はAIさんが書いてくれる。人間が書く文章は、どこか綻びがあって当然なのだから。

自分にとって、心地いい書き方を探している。


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