母親の自己肯定感を回復しないと
74歳になる母親に、何度か怒ったことがあります。
夏場、毎日アイスクリームを大量に食べていたとき。一箱8本入りのアイスクリームありますよね。あれを毎日一箱食べていたので、
「さすがに食い過ぎだよ!」と、怒りました。
理由はあるんです。母は心房細動という不整脈の病気を持っています。心臓のから送り出される血液が振動し血管に血栓ができやすいと医師から言われているんです。血管が詰まれば脳に血液がいかなくなり脳梗塞。脳梗塞イコール認知症と連想するのは、介護職員のぼくとしてはごく自然なことなんです。なんならその説明を受けるために、ぼくは病院に付き添ったし。
血糖値爆上がりのアイスクリームは肥満の原因にもなるわけで、肥満になれば当然血管にも影響があるわけで。
「そんなに食って、死にたいの?」
言いすぎたなぁと反省して、翌日謝りましたよ。ちゃんと。
でね、煮物をしたまま忘れてしまい、庭の土いじりをしていた時も怒りました。
鍋は吹きこぼれて今にも、ガズコンロはガスを噴射したまま火は鎮火しそうだったんです。庭に出ている母に向かって窓ガラス越しから、ドンッ!ドンッ!ドンッ!。すぐに部屋の中に戻れと合図して。
「家、燃えるよ!死にたいの?」
そっと火を消して、不注意が起こらないように工夫を一緒に考えるべきだったと反省しました。
そしてね、日中リビングでソファーに寝そべり、再放送の水戸黄門を見ているのを見て、
「死ぬ間際、水戸黄門見てたなぁって思い出しか残らんよ!」
これは、今、喉から声がでるのをグッと堪えています。グッとね。
親が高齢になれば母と子供のパワーバランスは逆転して子供のワンサイドゲームなるのは、どの家族でもあるですよね。でもそこで怒ってしまうと、よくないことを引き寄せるのではないかと思い始めています。
先日、若年生認知症の方に聞きました。
「どんな記憶が残るのですか」って聞きました。すると、
「起こられたり、注意された記憶しか残らない」と語ってくれました。
楽しい記憶はほとんど残っていないらしいです。
負の感情の方が、インパクトがあるのですね。
そうなのか、と思いながら、なんでなんだろうと考えてみました。
むかし「脳内メーカー」ってありましたよね。その人の脳がどんな思考で支配されているか、脳のイラストが文字で埋め尽くされているやつ。あれだと思ったんです。
要するに、脳内がネガティブで埋め尽くされているから、嫌な記憶しか残らないのかなと思ったんです。
若年生認知症の方は、毎日、毎時間、毎秒、不安と恐怖と闘っています。
ぼくが会ったその方は、奥さんの顔・お子さんの顔がわからなくなる時がある。会社への行き方がわからなくなる。今会った人・出来事を覚えていられない。顔面に麻痺があり、自分はいつまで生きることができるのか、自分ではわからない。そんな不安と恐怖と向き合っている方でした。
表向きは明るく振る舞っている方です。内面を推し測るまでには至りません。でも質問してみると、悲しい記憶しか残らないというのです。
たしかに、母を怒ったあと数日。母はかなり他人行儀になりました。ぼくとの距離を取るようになりましたし。恐怖で萎縮しているような感じでした。自己肯定感を失って無気力になった感じです。
母の脳内は「息子・コワイ」で埋め尽くされていたのかもしれません。
でも結局、注意したり怒ったところで人って変わらないですよね。余計に耳を傾けなくなっていくように思います。
厳しい体育教師よりも、話を聞いてくれるやさしい保健師室の先生を信頼しますよね。人って。
いや、今は元通りですよ。今日もちゃんと肩叩きしましたし。こーゆーときの時間って誰にでも優しいですね。
人との関係性を築くときに、怒ったり注意したりすることって、言う方の器を試されているんでしょうね。
「おはよう。」
「おやすみ。」
「いつもありがとう。」
優しい言葉を聞かせて、母の脳内を「息子・ヤサシイ」に変えていこうと思います。