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忘れられた歓楽街の記憶〜風営法と標識(愛知県の場合)①



はじめに〜鑑札と呼ばれるプレート

歓楽街(旧歓楽街含む)を歩くと、このようなプレートを目にすることはないだろうか。

歓楽街跡地などで見かけるプレート

その多くは店の玄関、あるいはドアに貼られており、都道府県ごとにデザインや記載内容は様々のようだ。共通していることはひとつ、「〇〇県(府、道)公安委員会」という文字が入っていること。「お上」による何らかの認証があったことを示しているのは明らかだ。

インターネット、特にSNSが普及してからは全国各地の多くの方がこのプレートを投稿され、歓楽街の歴史に思いを馳せている。ノスタルジックで映える建物だけでなく、こういった細部にまで目が行き届くようになったといえるのかもしれない。

筆者のSNS(当時Twitter)を以前からフォローしていただいている方ならご記憶にあるかもしれないが、2018年(平成30年)頃から約1年程、このプレートの歴史について調べ、度々ツイートしてきた。しかし、自分自身である程度把握し、自己完結してしまったこともあり、最近はすっかり興味を失ってしまっていた(飽きっぽい性格のため)。

なぜ今回この記事を書こうかと思ったのかというと、この数年でプレートについて明らかな誤認、また不確かな言説の投稿が目立ってきたことがその理由だ。また、某有名動画投稿サイトでは「おい!ちょっと待て!」とツッコミを入れたくなるようなものまで存在するのだ。

誤解しないでいただきたいのは、筆者が
「それ、間違えてるよ?」とか「そんな事も知らないの?」と、偉そうに間違いを指摘し、誰かにマウントを取りたいわけでは無いということだ。

ただ、考えてほしい。SNSや動画投稿サイトから情報にアクセスし、これから歓楽街の歴史に関心を持つであろう未来の同好の仲間に、明らかに間違った情報のバトンを渡してしまうのはマズいのではないか? 実際それが起きつつある。また、真偽不明な情報を元にインターネット上で晒されている建物、その住民の方は実際に迷惑を被っていることも知っていただきたいのだ。

いつからか、このプレートは「鑑札」と呼ばれ多くの方に認知されてきたようだ。私自身もSNSをはじめた当時、この鑑札という用語が正しいと思っていた。インターネット上では、どうやら鑑札は歓楽街の建物に貼られていて、売買春の場、赤線や青線の店の跡、と考えられているのが大勢のようだ。実際に街歩きガイドを担当した際に若い参加者から同様の質問を受け、回答すると驚かれることもあった。やはり明らかにする必要がある。その時期がきているのではないか。


いきなり結論!〜鑑札じゃない!標識だ!

調査過程には奇跡のような展開、嘘でしょ?!みたいな巡り合せがあり、実は調査内容よりこちらのほうがめちゃくちゃおもしろいのだが、先日「ブログが長い」とご指摘を受けたのでそれはいつか完全版として原稿にすることにして…今回は結果から先に述べる。

このプレートは(※愛知県の場合)


■売春防止法が完全施行された後、風営法により1959年(昭和34年)3月に規定されたものだ。

■そもそも赤線や青線、売買春の場、その跡を表すものではない。

■「鑑札」ではなく「標識」が正式名称だ。


これだけ知ってもらえればもう言いたいことの8割は終了であり、思い残すことはないのだが、次回からその詳細について検証していきたい。誰かがやらねばならない。


②へ続く(近日公開)

◆風営法の変遷
◆愛知県における施行条例