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忘れられた歓楽街の記憶~風営法と標識(愛知県の場合)④【完】

前回の記事③では1948年(昭和23年)に制定・公布された風俗営業取締法と愛知県の風俗営業取締法施行条例について、今回の記事では1959年(昭和34年)の法改正、そして、円形プレート「標識」の登場とその詳細について記していきたい。



風俗営業取締法の改正

風俗営業取締法施行から約10年が経過し、歓楽街には法令の範囲内でカバーできない新たな業態が現れはじめた。次第に改正へ向けた議論が進み、1959年(昭和34年)「風俗営業取締法」「風俗営業等取締法」に改正された(同年2月3日に制定、同10日に公布)。

この法改正の経緯について詳しい『条解風俗営業等取締法』【1】によると、改正が議論されるようになったのは「深夜喫茶」の業態が少年へ及ぼす悪影響が知られるようになり、各種団体や機関から法的措置へ向けた要請があったからだと記述されている。

深夜喫茶とは喫茶店(音楽喫茶、ジャズ喫茶等)の業態だけでなくバーや酒場等、それまで風営法では取り締まりの範囲外であった深夜11時以降営業を行う業態のものである。実際に改正された条文を比較してみると、旧法で取締対象であった料理店やカフェー等の従業員(婦女)が客を接待をする業態に加え、それ以外の深夜喫茶などの照明の照度、外から見渡すことのできない店内設備、構造条件等が新たな取り締まり対象となった。またキャバレー、ダンスホールに加え、店内でダンスと飲食をさせる業態、ナイトクラブの区分が追加されたことが大きな改正点であった。風俗営業とそれに近い業態を取り締まり範囲内に加えることから法の題名が「風俗営業」「風俗営業等」と改称されたということになる。


風俗営業等取締法施行条例と施行規則

風俗営業等取締法の制定・公布を受けて、愛知県では1959年(昭和34年)3月28日に条例第2号、風俗営業等取締法施行条例を公布【2】【図1】。法令改正に基づき風俗営業の業態をより広くカバーするものとなった。

前記事で記した通り、旧条例(1948年(昭和23年)~1959年(昭和34年)では特飲街(赤線)の特殊カフェーも一部取締対象となっていた。しかし、愛知県を含む東海地方では1957年(昭和32年)12月に特飲街(赤線)が廃止されており、新条例はいわゆる「赤線廃止」以降の新たな歓楽街を対象としたものであった。

【図1】『風俗営業等取締法施行条例』

以下、愛知県における改正された風俗営業取締法施行条例の条文(一部)は以下の通りである。第二条の三、五、六が新たに追加された業態である。

第二条 風俗営業をその営業内容により、次の種別に区分する。
一 法第一条第一号に属するもの
 キャバレー 設備を設けて客にダンスをさせ、かつ、客席で客の接待をして客に飲食をさせる営業

二 法第一条第二号に属するもの
 イ 料理店 主として和風設備の客室を設けて、客席で客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業で、芸ぎその他の遊芸人を招くことができるもの
 ロ かつぽう飲食店 主として和風設備の客室を設けて、客席で客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業(ハに該当する営業を除く。9
 ハ 小料理店 主として和風設備の小規模な客室を設けて、客席で客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業
 ニ カフエー 主として洋風設備の客室を設けて、客席で客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業(ホに該当する営業を除く。)
 ホ バー 主として洋風設備の小規模な客室を設けて、客席で客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業

三 法令第一条第三号に属するもの
 ナイトクラブ 設備を設けて客にダンスをさせ、かつ、客に飲食をさせる営業

四 法第一条第四号に属するもの
 イ ダンスホール 設備を設けて客にダンスをさせる営業
 ロ ダンス教習所 設備を設けてダンス教師の指導により、客にダンスをさせる営業

五 本第一条第五号に属するもの
 第五営業 設備を設けて客に飲食をさせる営業で、風俗営業等取締法に基く客席における照度の測定方法に関する総理府令(昭和三十四年総理府令第五号。以下「府令」という。)で定めるところにより計つた客席における照度を十ルクス以下として営むもの

六 法第一条第六号に属するもの
 第六号営業 設備を設けて客に飲食をさせる営業で、他から見とおすことが困難であり、かつ、その広さが五平方メートル以下である客席を設けて営むもの

七 法第一条第七号に属するもの
 イ 遊技場 まあじゃん屋、ぱちんこ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業
 ロ 児童遊技所 主として十八歳未満の者を対象とし、設備を設けて魚救い、輪投げその他により射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業

『風俗営業等取締法施行条例』【2】

そして、条例第21条では1948年(昭和23年)の施行条例同様に標識の掲示について次のような記載がある。

風俗営業者(次項に規定するものを除く)は、営業所の出入口の見やすい箇所に、法第二条第一項の規定による許可を受けたことを示す標識を掲示しなければならない

遊技場又は児童遊技場を移動して営む者は、営業中、客の見やすい箇所に、第九条第一項の規定による許可証を掲示しなければならない。

『風俗営業等取締法施行条例』【2】

この施行条例公布に併せて規定されたのが条例を補完する愛知県公安委員会規則第1号「風俗営業等取締法施行規則」(以下規則)【3】である。この規則では許可申請手順や提出書類関連事項、従業員名簿の提出事項など、条例よりも更に詳細な規定が示されている。その中の第12条には次のような記載がある。

第十二条 条例第二十一条第一項の規定による標識は、様式第十号によらなければならない。

『風俗営業等取締法施行規則』【3】

この様式第10号として規定されたのが円形の標識である【図2】。直径は7㎝、上下の帯の愛知県・公安委員会の部分は黒地に白文字、中心部の背景は白色で業態は赤字で記載されていた。

【図2】風俗営業等取締法施行規則で
規定されたフォーマットの詳細

現在でも県内各地にこの標識を見かけることがあるが、そのほとんどは店頭に掲示されていたこともあり時代とともに退色が進んでいる。しかし、某歓楽街のビル(昭和50年代築)には次の写真のような標識が現存する【図3】。規則の図示どおりの状態だ。

【図3】愛知県某所に残る標識

東京都の施行条例

1959年(昭和34年)以降、他都道府県においても円形の標識の採用が進んでいる(青森県、神奈川県、京都府などは長方形)が、東京都では全国にさきがけて1948年(昭和29年)に円型の標識が規定された【図4】。標識は特飲街(赤線)とは関係ない、と記したが東京都に限っては数年の間この標識が赤線が存在した時代に使用されていたのだ。

【図4】東京都の標識、1948年(昭和29年)のフォーマット

ちなみに、動画投稿サイトでは次のような動画が公開されている(TBSスパークル映像ライブラリー)。1:03からの映像では都内業者の経営者が警察を訪れ、1948年(昭和29年)の東京都の施行条例で規定されたフォーマットの標識【図4】と許可証らしきものを返納する場面が映る。また、標識には「カフェー」という文字が確認できる。東京都内において特飲店は愛知県同様に風営法上「カフェー」に分類されていたことがわかる貴重なものだ。


1959年(昭和34年)3月29日公布、東京都条例第10号、風俗営業等取法締施行条例を確認すると、当時の東京における「カフエー」とは次のように区分されている【4】。

【カフエー】主として洋風設備の客席で、婦女が接待をして客に飲食をさせるもの。(簡易料理店を除く。)

『風俗営業等取締法施行条例』【4】

前述した通り、カフエー以外の料理店、料てい、簡易料理店などの分類は「赤線」「青線」の許可とはそもそも関係ないのだ。都内では小規模な店舗(跡)に次のような簡易料理店の標識を目にすることがある【図5】。

【図5】都内の歓楽街に残る標識

各都府県の施行条例比較(東京・愛知・京都)

各都道府県で公布された風俗営業等取締法施行条例の第2号営業の区分を比較するととても興味深いものが見えてくる。参考まで次の通り一部を紹介する。

第2号営業の比較
 ※ともに1959年(昭和34年)改正時点のもの
 ■愛知県【2】
 料理店、かっぽう飲食店、小料理店、カフエー
 ■東京都【4】
 料理店、カフエー、料てい、簡易料理店
 ■京都府【5】
 お茶屋、料理屋、カフエー、酒場
 
このように地域によって業態名が異なるのだ。たとえば芸妓や遊芸人を席に招くことができる業態はそれぞれ、

料理店(愛知)、料てい(東京)、お茶屋(京都)

となる。つまり、愛知県で芸妓や遊芸人を招くには料理店として許可を受けた店でなければならないが、東京の料理店、京都の料理屋では不可であった。これまで15ほどの都道府県の条例を確認したが、業態は地域ごとにかなりのバリエーションがありとても興味深い。

これらの各年代の施行条例は、各都道府県が発行している行政文書「県(都・府・道)公報」に記載がある。愛知県の場合「愛知県公報」は愛知県図書館と愛知県公文書館などで閲覧可能だ。三重県、茨城県、大阪府などは府・県の公式HPでも閲覧できるなど、決して特別な資料ではなく、だれもが簡単にアクセスできる資料でもある。


1964年(昭和39年)の条例改正

話はまた愛知県に戻る。愛知県では1964年(昭和39年)7月6日、愛知県条例第58号によって風俗営業取締法施行条例が一部改正された【6】。この条例ではそれまでの第2号営業の区分(料理店、かつぽう飲食店、小料理店、カフェー、バー)から、かつぽう飲食店を小料理店に、カフエーをバーにそれぞれ統合し5区分から3区分(料理店、小料理店、バー)へ簡略化した。つまり、芸妓を呼べる和風設備の店は料理店、それ以外は小料理店、洋風設備の店はバーとなった。

このことにより、愛知県内でかつぽう飲食店、カフェーの標識は効力を失った。現在でも数か所、かつぽう飲食店の標識が現存しているが【図6】、この標識は1959年(昭和34年)施行条例公布から1964年(昭和39年)までわずか5年間のみ条例で規定されていたものということになる。

【図6】わずか5年間しか使われていなかった「かっぽう飲食店」の標識

1984年(昭和59年)の法改正と施行条例、施行規則の廃止

1984年(昭和59年)「風俗営業等取締法」は「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(現行法)と題名、内容とともに大きく改正され、翌1985年(昭和60年)に施行された。この改正に伴い公布された愛知県の施行条例、愛知県条例第36号では、1948年(昭和23年)、1959年(昭和34年)にそれぞれ示されたような標識は規定されなかった【7】。そして翌、1985年(昭和60年)2月には愛知県公安規則第4号で風俗営業等取締法施行規則が廃止【8】、これは円形の標識を規定していた規則だ。規則の廃止によって、標識は効力を失うことになる。

では、なぜ効力を失った標識が今でも街中に残されているのか? とても不思議だ。

個人的には条例の改正に伴い業態を記した標識の掲示義務はなくなったものの、新条例では同様の標識がなかった。そのため店は旧条例時代から県によって営業を許可された「安心安全な店」であったと標榜するため敢えて残した。こんな風に考えるのだがどうだろうか。

ある方は想像たくましく「今でも密かに裏の営業をしているサインに違いない」などとおっしゃっていた。この件について以前、ある家主の方にお話を聞いたことがある。その答えはこうだった。

「剥がしたら柱の色がここだけ違って(色褪せているので)見た目が悪いからそのままにしてる。意味なんかないよ~」

歴史の真実とは意外とこういうところにあるのかもしれない


おわりに

愛知県の歓楽街、歓楽街跡地に残るプレートはインターネットを中心に鑑札と呼ばれ、性売買を行っていた店の遺構であるかのように考えられてきた。しかし、行政文書上の名称は標識であり、鑑札という用語は一切見当たらないこと、また赤線廃止後の1959年(昭和34年)風営法改正以降に使用されたものである。

我々はこれまでこの実態についてあまりにも無知・無関心だったのではないだろうか。不確かな情報がSNSや動画サイトで拡散されることで、法令・条例に沿って営業をしていた店を特定の業態の店であるかのように決めつけてしまっていた。このことについては大いに反省するべきであり、考えを改める必要がある。

標識と関連条例は店の営業形態、店内構造、その年代までを正確に知ることができる貴重な史料でもある。忘れられた戦後の歓楽街の記憶と風営法の歴史。一人でも多くの方とこの情報を共有できたらと強く願う。【完】


■参考資料
【1】『条解風俗営業等取締法』警察庁保安局防犯課 編 ,立花書房 1959年(昭和34年)
【2】『愛知県公報 第四二五九号』愛知県 ,1959年(昭和34年)3月28日
【3】『愛知県公報 第四二五九号』愛知県 ,1959年(昭和34年)3月28日
【4】『東京都公報 号外』東京都 ,1959年(昭和34年)3月20日
【5】『京都府公報 号外』京都府 ,1959年(昭和34年)3月25 日
【6】『愛知県公報 第5066号』愛知県 ,1964年(昭和39年)7月6日
【7】『愛知県公報 第8207号』愛知県 ,1984年(昭和59年)12月24日
【8】『愛知県公報 第8222号』愛知県 ,1985年(昭和60年)2月4日

■図・写真
【トップ画像】愛知県内某所に残る標識
【図1】『愛知県公報 第四二五九号』愛知県 ,1959年(昭和34年)3月28日
【図2】『愛知県公報 第四二五九号』愛知県 ,1959年(昭和34年)3月28日
【図3】  愛知県内某所に残る標識
【図4】『東京都公報 第1238号』東京都,1954年(昭和29年)4月17日
【図5】 東京都内某所に残る標識
【図6】 愛知県内某所に残る標識