誰でも簡単に○○が良くなる方法

 記事を書いていると、誰にでもあることだと思うが、その内容だけでなく、自分に関しても色々な考えがよぎり、最中に嫌でも気づかされることになる。自分の調子が悪いってことに。

 私の場合、調子の差は、前提の差異と有無にあった。最近は、前提をかなぐり捨て、物事を一から考えていたのだ。

 その調子にかかわる重大な前提とは、生命の事である。生命を前提に物事を考えると何も前提においていない時よりはるかに調子よく書ける。

 正しい前提を用いて結論が狂うのは論理的ではない。ならば、たしかな感覚を用いて結論が狂うのも論理的ではない。つまり、自身が確信を持って言えること(前提をおくこと?)は、正否にかかわらず、論理的な文章になる。これは一見して矛盾しているようだが、論理的にいえばそうなる。

 とにかく、生命と言う大前提のことを考えながら書くのとそうでないのとでは雲泥の差なのだ。

 そもそも、人間は、この世にどれだけはっきりしたものがあると言えるだろうか。

 古来より人間の知性は、はっきりしたものを見つける能力によって量られてきたに違いない。はっきりしたものを一つも分からない者は、酩酊状態で歩いているようなものだ。はっきりしたものの一つも分からずに、それがどんな問題であれ、何であれ、どうやって語るというのだろうか。「はっきりしたものはこの世に一つもないけれど、人権問題について語ります。アーアアァー」、なんてことは、成立しない。

 はっきりしたものを用いるのは大前提だ。結局、そこに行きつくのだからどうせ頼ることになるし。

 つまり、前提をおくだけで、瞬間的に調子がよくなり賢くなれる。そして、たしかな物を軸に感覚を鍛えれば、より強い状態で持続させることも可能となる……に違いない。

 何かおかしい気もするが気にするな。