今日、虫を殺そうかどうか迷った

げじげじが出たんだ!

躊躇い

でも、自分が怖いからとか、気に食わないとか、自分の為に殺すのもな。
そこで思いついた。以前したカテゴリー分けに似てることに。

虫一匹、家族の為に?まさか、国家の為ってことはあるまい。

生命の性質が大前提

虫けら
=家族、集団の為に生きる。

植物
=国家、全体の為。

家畜
=そう考えると、家畜は何だろう。
虫けらと植物、両方の要求・欲求・需要を満たす。貯金箱、貯蔵庫のようなものか。集団の貯蓄、あるいは、財産という概念かもしれない。

いや、でも……考えてみれば、遺伝子は残るん。
その点は、植物と同じなのだから、植物の形態の一種ともとれる。

彼らのカテゴリー分けは困難を極める。所有する者の為だろうか。そう考えると、家畜というカテゴリは存在せず、家畜を伴う支配者に分類されるのではないか。他のイメージとしては、プランクトン的生態ピラミッド。食物連鎖。問題の縮小拡大。

私が一匹の虫けらだとして、他者に自分の生き方や道理を説くなんてことが真にあるのであれば、それはそれで面白い。

何が言いたいか

生命は、命の為に命を奪う。

これ意味わかる人いる? 考えてみたらこれって凄いことだよ。

命が命を奪うんだ……。

生命のしによって、生命が維持される。マジで最高だよね。

参考リンク

ヒトはどうして死ぬのか~死の遺伝子からみた未来~

なわち細胞の死によって生命が維持されるという、私たちはかなり逆説的なところで生きているのです。