不実とは、真実を知らないことである。
1
人は、真理を話せないとしたら、騙すことしかできない。
この主張には、相反する思いを持っている。なぜなら、この時、騙す意思を持っていなかったとしたら、その代わりが必要になってくると思うからだ。例えば、「間違ったことしか言えない」等。
しかし、その人に”騙す意思”があろうとなかろうと、結果的に”騙すような”ことになるという点には、同意している。
この主張をより正確(つまり、この時点で真理ではない)にするには、
『人は、真理を話せないとしたら、騙すようなことしかできない』とした方がいいだろう。
ただし、「私たちは、常に感覚により欺かれている」のような前提がある場合、「人は、騙すことしかできない」としても、厳密さを伴っていると言える。
なぜなら、『そもそも自分自身が常に欺かれ間違っている』ので、『本当でないことを本当であると思わされている状態にある』からだ。
2
人は、真理を話せないとしたら、騙すことしかできない
この場合、真理を語ることが出来ないのは、”真理”を知らないからだ。真理を神に置き換えることでそれを分かりやすくする。
人は、神について語ることが出来ないとしたら、騙すことしかできない
神について語り神を騙る。人が神を詐称することは、歴史上よく見られることだ。
それ以外の方法をとりようがないのだから。つまり、不実にならざるを得ないのだから。
3
不要な言葉が多い。
「騙す」に相当する言葉を知りたいわけではない。
言い換えるこの御追及は、本質的ではない。
人は、知らないことについて、騙すことしかできない。
問題点は、騙す気がないのに騙してしまうところにある。つまり、自分自身が欺かれている事実を知らないのが原因である。
4 騙すについて
「騙す」とは何か。
知らないものについて騙る時、「それは、真実ではないと知りながら、相手に真実であると思わせようとすること」。
不実と何が違うのだろう。不実と言うのは、誠実と対極にあるだろうから話もしやすい。騙すことが不実であるというのは、素晴らしい決着の様に思える。
5 組み合わせと段階
Level1「人は、真理を話せないとしたら、騙すことしかできない」
↓
level2「人は、真実を話せないとしたら、不実である。」
↓
Level3「真実を話せない人は、不実である」
↓
Level4「真実を知らぬ人間は、不実である」
すげーよくないか、これ。
6 問題点の考察
「真実を話せない人は、不実である」と、「真実を知らぬ人間は、不実である」は、極論であり、二つの面を持つ。つまり、「そうである」とも、「そうでない」とも言える。
特に、「真実を知らぬ人間は、不実である」というのは、聖職者が泣いて喜ぶか、ものすごく頭を悩ませるか分かれるだろう。二律背反になるのだろうか。そうだとすれば(話は逸れることになるが)、二律背反とは、「そうである」とも、「そうでない」とも言えるモノのことになる。
7 個人か、全体か。
「真実を話せない人間は、不実である」。この言を全体・総体化(こんな言葉はおそらく無い)すると、「不実とは、真実を話せない人のことである」となり、真実を話せない者・知らぬ者は、不実の存在となる。当然、何かに関して人は、不実になるわけだ。すべての真実を知る者はいないから。
「真実を知らぬ人間は、不実である」。普遍化(こう使われることがあるのか知らない)すると、「不実とは、真実を知らない人間である」となり、人間その物が不実の存在となる。
8 人間を取り除く
不実とは、真実を知らないことである。
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こうすることで、人は、真実を知らなければ、そのことについて不実にならざるを得ないことを言い表し、不実とは、真実を知らないことであるから、その性質上、不実から脱却する為には、真実を追わなければならず、真実を知ろうとしない者は、その態度からして不実であると言える。
これで聖職者の溜飲も下がるだろう。
11 欠点
この真理は、そもそも真実が何か分からないモノに関しても使えてしまう。真実と呼べるかどうかわからない者に関しても使えてしまう。この真理は、そもそも真理が何か分からないモノに関しても使えてしまう。
例えば、「神」とか。例えば、「法律」とか。例えば、「真理」とか。
不実とは、神の真理を知らないことである
不実とは、法律を知らないことである
不実とは、真理をしらないことである
やっぱり、人は、それまで騙し騙され続けなければならないんだ