ひっそりと貪(+不味い=悪習。悪習x悪習=蝕まれる)る。
「貪る」+「不味いもの」=「病」。病(不味い物+貪る)=「蝕まれる」。これは真理です。おいしい物を引け目なく貪ってくれよーと密かに願う。貪る+おいしい物=?(←これを知りたい。)予想は、「健やか」だ。
↑調子に乗って自身の記事のコメント欄に書き足したもの
これは恥ずかしい。
x(貪る)+y(不味いもの)=x+y(病)
だとしたら、
(x+y)(x+y)=x^2+2xy+y2(蝕まれる)となる。
これで成立するのか分からない。
本当に言いたかったことを整理したい
まず、「貪る+不味い物は、その人自身の意思(望む望まない)に係わらず悪習」である。こんな感じの事が言いたかった。そして、悪習であるから、病になる(=病とした)。それから、病の状態で(悪習を継続させて)いると、「蝕まれる」との思いから”病(不味い物+貪る)=蝕まれる”としていた。
乱暴(乱雑?)なまとめ具合であったのを修正したい。
修正案
まずは、「貪る」+「不味いもの」=「悪習」と修正したい。
そして、悪習x悪習=「蝕まれる」とし、そして、病は、取り消す。
なぜなら、「病という語」は、広範過ぎるし、それ(悪習)だけが病の原因ではないからだ。
正の貪るについて
健やかというのは悪い案ではないだろう。
「命を貪る」と表記することが多い。
呼称
正の貪る=美味、負の貪る=不味とする。
*必ずしもこの略称を使用するわけではない。
新たな設定の追加
「蝕まれる(以後、「蝕」)」は、「遊び」を誘発すると仮設する。
「遊び」は、「疑似的な正の貪る」である。なぜなら、「正の貪る」ができない状況下で行われる「貪る」であり、かつ、「悪習」ではないからだ。
数式みたいなので表したいけど知識が足りない。
?:健やかさ:遊び:蝕まれる
蝕からの脱出方法
1.悪習を断つ
理想:悪い形で人と関わらないで済む状況の構築(恐らくほぼ不可能)。
言い換えれば、「美味」の形で人と関わることが出来る状態を指す。
2.正の貪るの値が大きい
「蝕まれる」の数値よりも大きい値の「健やかさ」があれば或いは?現実的には、1と同じ意味・対処になるだろう。
「蝕」より大きい数値の「健やかさ」で対処できるという仮説が真実であった場合、それはつまり、あらかじめ「蝕」に対処できる「健やかさ」を備えていなければならないという意味だ。
シンプルにいえば、相手より強ければそれで済む。
この世で働いてる動物は、人間に捕まった生き物だけ。それを考えれば、捕まってからでは、後の祭りということだ。
「健やかさ」は、生きる上で重要な数値だ。
貪るに学ぶ普遍性
1.生きている間は、「貪る」ことを止められない。
2.何事にも正負があることを忘れてはならない。
3.「正の貪る」は、「命を貪る」こと。
4.「負の貪る」は、「命が貪られる」こと(貪るのに失敗?)。
その時、「死んだように感じる」。
「蝕」にあっても生きなければならないので、生きる為に「貪る」ものの、その内容物は、その状況でも「貪る」ことの可能な物に限られる。よって、疑似的な「美味」である「遊び」を行うだろう。
最後に
悪くない。爪が甘いという言葉もよく馴染む。
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