人生を24時間だとしたら

暗い気持ちになるかもしれない。閲覧注意。

人生の残り時間の話ではなく、やることを1日に割り振る。
睡眠8時間、仕事8時間。ご飯と風呂で2時間。合計18時間。
残り、6時間。

6時間。寝てる時間よりも短い。これで人生を生きると言うのは、難しいのではないか。人生とは、睡眠のことを指すのでは。

理想は、金持ちの遊びに付き合う時間を消し去ることだ。そうすれば8時間浮く。それでも14時間だ。

そもそもこの14時間で何を知ろってんだ?しろってんだ?

よく子孫を残すと言うが、俺は反対だね。子供を作るというのは、繁栄のための手段であって、目的ではない。

まぁ、繁栄を狙う人間にとっては目的なのかもしれないが。それでは、単なる労働力であり、その子の人生は、家畜の目的を達成するためのものになる。

こういう話になると、何故、人は、生まれてきたのかという話になり、うやむやになるが、最近、思い出したことがある。

人間は、元々、猿だったってことだ(俺たちが創造する猿とは別物らしいが)。つまり、人が生まれてくる目的は、猿が生まれて来た目的、又は、猿が子を産む目的と変わらないと考えることも出来る。

猿を産んだ神のたくらみなど知る由もない、しかし、猿が子を産む目的程度ならば分かるのではないか、と思い至った。

従って、ひとまずの結論を述べると、人が生まれてくる理由は、猿と同じか似たものであるってことだ。

ただし、猿から人が生まれてきた以上、もしかしたら、猿には、こなせない何かがあったのかもしれない。

又は、実は、猿の方が優秀で、オーバーパワーだから、出力の劣る(つまり、省エネ、エコである)人間が産まれたとか。

これは、肉体という点では、当たっている気もする。しかし、類人猿たちは、現代の人よりも肉体が優れていたというだけではなく、脳も大きかったらしい。まぁ、納得だろう。外で賢くない者が生きていけるとは思えないからね。

類人猿→人間 エコ説あってもおかしくないな。でもこの理屈だと、産むために人が生まれて来たという話はあながち間違ってもいないことになる。

つまり、人間は、類人猿の考えた、子供を産むための奇形(あるいは、品種改良種)だった可能性が出てくる。実際、数を確保するのが難しいのなら、少しでも産めるような行動様式に変化してもおかしくはないだろう。品種改良は、あり得ないと思うが。

まぁ、どうだか知らんが。この話は、ここで切り上げよう。
調べれば分かりそうだし。

話を戻して、猿が子を産む目的を探ろう。

考えてみたが、結局、自分の為なんだろうか。一人になっても仕方ないもんな。そう考えると、生き残るための手段というのが妥当だろうか。

考えてみれば、生命の目的は、確かに不明だが、その出す命令は、常に、生き残るためのものだった。

避けられない死を回避しようと色々動かされるというのが奴隷の証左でもある。いや、絶対に解放されないので奴隷よりも酷い、真の奴隷。

死なれて最も困るのは、主人なわけだから、少しでも長く働くことを期待するのは、当然かもしれない。

考えてみたら、生命体って、それ自身が何か目的を持って生まれてくるわけではないよな。自然発生的にそうなるわけだから。

よって、猿、人間の目的は、生命の目的(不明)を達成することにあり、それに近い(又は、近づく、と思われる)行為は、社会でも称賛される傾向にある。

まぁ、何が悪いというわけでもない。

とりあえず、人生において睡眠だけは、大切にしたい。

少しでも時間を無駄にしたくない。それだけは確かだ。

「世の中に寝る程楽は無きものを知らぬうつけが起きて働く」

「世の中に 寝るほど楽は なかりけり 浮世の馬鹿は 起きて働く」

「寝るは楽起きて地獄の夢を見る寝続けにするこれぞ極楽」

真面目に良く寝て 起きれば よく思いつく それにつけても金の欲しさよ