脳を形作るモノ
言葉だ。 言葉は、表象を作る。
表象が言葉によって作られるということは、言葉を深く理解することで、心を深く理解できるのではないか。又は、心を得ることが出来るのではないか。
言葉を深く理解することは、脳を操ること。
つまり、言葉を深く理解することは、自身のみならず、人そのものの脳を操ることに等しい。
ほとんどの者は、言葉の意味を深く理解しないまま使う。
だが、言葉の表象は、人類で共通だ。普段は、見逃される凡庸さだ。
(共通でなければ言葉の意味がない)
共通のものだからこそ、深く理解することで優位性を保つことが出来る。
それは、言葉が表象を作るからだ。そうに違いない。
言葉の優位性とは、表象を知ることによる優位性だったのだ。
言葉の意味を深く知ることは、脳を掴むことに等しい。
何れ辿りつく心の先。人の通る道。
神様でも人を言葉で説得(?)するのは無理だ。
自分の頭を良くした結果、言えることと、他人の頭をよくする方法は、別である。
頭を良くした結果、ようやく発することのできる言葉は、人(他人)の頭を賢くするものではない。
知恵で勝るのは、修練の結果であり、その結果を他人に話したところで、他人に優れた知恵を与えない。
これも何を書くか忘れたは。