面白い記事

概念に関することなのは分かった。しかし、どういう語り口であれば、「面白い」、となるのかは、まだ。

非常に読みやすい文章であれば良いというのは、不快でなけれいいと同じだといつかの私は思った。

真っ先に思いついたものと、そもそもnoteは、書くのに向くと思うが、読むに向かないように感じているこの思いを解釈すると、つまり、他者に読ませることにも向かない。

toiuyorimo,なぜ私が面白い文章を書かなければいけないのかと苛立ちを覚えたる!

藁ゐ ごとう


私は、おしゃべりをしたいわけではない。これだけは、はっきりしている。

思索し、思考し、耽りたい。これらの条件を満たさなければ、御終いだ。

必然性が無くてはならない。他者を従えさせるような力への信仰と渇望が招くもの。即ち、宗教のような夢想である。

しかし、最も重要なのは、自らの手によって、自分自身を従えることである。他者は、自己の客観を追求したおまけに過ぎない。

従って、自己の最大化を図ること、又は、生命力を鍛えること。

これらを概念として扱う記事が面白いだろう。実にいい結論だ。

そんなことを書いている人間がこの世のどこにいるんだってことを除けば。

他者の記事から少しでも見出す努力が問われるのであれば、結局、それは、自分自身の問題である。

結論、面白い記事は、自分で書く(作る)しかない。

まずは、面白いと思うものを抜き出してスクラップを作ろう。

とりあえずネットに展示されている名言を頂戴して解釈する。

ようはコピーコンテンツだね。

コピーすることだけを覚えて、内容と解釈をまとめる人間が未だにいない。

誰か、はやく