【生活は患い】死ぬ事も出来ず生きられもせず
「どうしてこんなにも、生きずらいのだろうか」
そう思って20年以上経ってしまった。たかだか20年と嗤う人もいるだろう。それはそれで構わない。これは僕の問題であるのだから。
これを書こう思ったのは、コロナが流行りだして最初の頃だから……2月中旬だっただろうか。母の体調も芳しくなく、かといってこれ以上病院では具体策を講じることも出来ない。母は自宅のベッドで内蔵の痛みと高熱と吐き気に襲われていた。脱水も起きていたのかもしれない。
もしもコロナまでも罹ったならば……そんな不安が頭を過り、こんなにも苦しむのならいっその事……などと、気を病んでいた自分は、思い至ってはその思考回路の異常さにかぶりを振った。(介護心中とはこのような心理なのかもしれないと思った)
そして当たり前だが恐ろしい事実に気づいた。
日本の医療は"生かすことが前提で行われている"のだと。
現在、最前線でウィルスと闘う医療関係者には尊敬の念しかない。が、それとはまったく別の次元で、人が皆一様に、何も無くとも"生きる"がデフォルトである社会の常識に戦慄したのだ。
権利、とは何なのだろうか。何故、生きることが正しいことで、生きたくないと思うことがバグのように扱われるのか。とてつもなく絶望をして悲しい思いをしないことには、生きたくないという気持ちを抱く、理屈は通らないと思われている。
それが不思議でならない。
社会のシステムに詳しい訳では無いのだが、福祉とやらにも感じるところがある。
「生きることは権利として認められているよ。でも、死ぬことは許されていないよ。尊厳無くしてでも生きる方法はあるよ。やはり、自死は出来ないよ」
そんな声が聞こえるのだ。
最低限を保証します。
最低限ってなんですか?
生存していくだけのことです。
それは"人間"として意味があるのでしょうか?
意味を考える必要があるのですか。
……これ以上は尊厳死の話になりかねないので、僕の抱いた違和感にのみ残しておく。
僕はこんな夜の狭間でも、ただ生かされていくしか終わりまで方法がないのだ。