【生活は患い】自分の中の年が明けた
2020年の実感が湧かない。いつの間にか「大晦日」が来て、いつの間にか「正月」になった。SNSや家族の反応も、そう。きっと、令和が衝撃的だったから。そう思っていた。
12月29日8時35分の自身のメモ
ロラゼパム0.5×20
ロフラゼプ1×4
ポポラミン2×20
アレロック5 ×8
レタス×48
年を跨ぎたくなくて、こんなことをしても存在を消せないのはわかっていて、オーバードーズをした。実家にいたから、親に動向を聞いた。完全にトんでいた。自意識が戻ったのは30日の正午頃。ちょっとした現実逃避だった。
僕はここ数年、お金に執着していた。趣味の単価がやたらと高いのも理由の一つだ。
が、僕自身が生きるための行為は「書くこと」で、それは「芸術」に分類され、今の社会では贅沢や余興に入るのだと思っているから。生活をするには貨幣経済であり続ける限りお金が必要だから。
母が怪我をした。介護の影がチラついた。父の年齢を計算した。週末顔を合わせる毎に痩せていく彼に負担をかけていることにゾッとした。
働き方改革。リモートワーク。在宅ワーク。アフィリエイト。
人間の目が怖くて、知らない人と目が合うと嘲笑の幻聴が聞こえてしまい、外出が苦痛で、他人からしてみれば甘えと言われても仕方の無い僕は、どうにかして社会の労働の型に自分がはまる方法がないか探した。
悔しいかな。どれも実力実績証明。当然だよねと苦笑いしてブラウザを閉じる。
今の僕は、辛うじて学生のレッテルを保有する無力だ。
明日、先輩の誘いでお茶をすることになっている。好きな洋服を着て出かけられる、つまり自分を武装して外界に挑む。その服すら自信がなくて、僕は自分に自信がなくて。
脆いものだから泣いた。泣いて存在を訴えた。死にたがる自分を肯定して欲しかった。先を生きている母も、思慮深い父もやはり大きかった。
どこまでも大きかった。
まだ、去年までの死にたい僕は心の底で元気にしているよ。それでも、やっと2020年が始まったんだ。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。