too hard too bite
「真っ白な原稿用紙を拡げて、何を書くかわからないで、詩でも書くような批評も書けぬものか。例えば、バッハがポンと一つ音を打つでしょう。その音の共鳴性を辿って、そこにフーガという形が出来上る。あんな風な批評文も書けないものかねえ。即興というものは一番やさしいが、又一番難かしい。文章が死んでいるのは既に解っていることを紙に写すからだ。解らないことが紙の上で解って来るような文章が書ければ、文章は生きてくるんじゃないだろうか。」
小林秀雄の話だけれど、これがずっと頭の中で響いている。
文章を書くことにたいしてももちろんそうなんだけれど、そのアティチュードは、本買いにもあてはまるんじゃないかと思ったりしているのだ。
フリージャズのように本を選ぶこと。
探していた本が絶好のタイミングで見つかることは、とても気分がよくて、その快感のために、日々本屋を徘徊しているようなものだけど、探しているわけでもないのに、呼ばれたような気がして、思わず手にとってしまう本がある。
その磁力はタイトルであったり、ブックデザインであったり、よくわからない気配であったり、まあひとことでいえば、本としての「佇まい」といったようなものなんだけれど、その時その場の磁力だけで本を買ってしまうのもまた格別の趣があって、じつはそれこそが、本買の醍醐味といってもいいかもしれない。
なにか目に見えないものに身をまかすことの快感。
こちらが選ぶのではなく、本に魅入られて、買うというより買わされてしまうっていうその感じ。
再掲:too hard to bite - 2009/02/09
https://www.kotobanoie.com/blog/20090209
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