見出し画像

支援とか被支援とか

ある日の午後

「『パンツはかせてあげましょうね』って

言われてるみたいで、すっごい腹立つ!」

と言って 相談室に飛び込んできた彼女


どういうことかと話を聴くと

通っている作業所(就労継続支援B型事業所)で

支援者に言われること、されることすべてがそう思えて耐えられないというのだ

彼女は、一人暮らしをして運転もするし、常に恋人もいて

親とはよく喧嘩しているが、精神的に自立した人だ

「うまいこと例えますね」と心から感心すると、少し緩んで笑みがこぼれた


支援するとかされるとかいう関係性が固定化した場では

支援する方は自分たちの暴力性や支配性にとても鈍感になる

支援される人たちはそこに敏感なままだが、我慢したり諦めたり傷つくのに慣れていく


でも彼女は違った

おかしいと思うことはおかしいと言う

それはとても軋轢を生むし、場を凍らせたりもする

それでも彼女はそれを言わないと気が済まないし

言って居場所を無くしても言わないで我慢するよりもずっと清々しているのだ


かっこいいなと思う

それが怒りとして表出されることは、社会的にどうなのかと問われることもある

それでも怒れる人をわたしはかっこいいと思うし

本当はとてもそうありたい


その彼女が、先週相談室に来てわたしに言うのだった

「ちょっとここに慣れすぎたんじゃない?

そろそろ、次のステージにいくときかもよ

まぁ、いなくなったら困るけど」

すごいなぁ、何も言ってないのに

彼女は、十分過ぎるほど、相手の気を読んでいる

その上で怒るのだ

相手がそれを受けとめる器量があるかは別として


いつか彼女に怒られたい

怒られながら一緒に場を作っていったらおもしろいだろうな

なんていうことを思いながら

去って行く背中に手を振った



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?