夜と負の妄想と、かつてのマウントみたいなもの
何にも満たされない夜っていうのがある。
決して満たされない状況とは言いきれない、恵まれたところもきちんとあるという自覚はあるのに、足りないものにばかり目を向けてしまう不毛な一日がある。
やることをしっかりやって、明るい明日と未来のために踏み出して、過去なんてなかったことにするみたいに駆け出そうよ、という自分で肥大化させた概念に責められて、勝手にもやもやする。
そう。誰のせいでもなく、勝手にだ。
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昔、仕事の際にご一緒したプロのヘアメイクさんにこう言われたことがある。
「若いうちに世界に出て行って、見たことのない景色に触れて、そういうのって絶対に大事だから。必要なことだよ、絶対自分のためになる。やった方がいい」
その時のわたしは、なんとか日々のお金を稼いでなんとか一丁前な顔をして生きていくのに精一杯だった。金銭的にも精神的にもそんな余裕もなく「いやぁ…そう、なんですかねぇ」と、言葉を濁すしかできなかった。受け入れられていないことを、上手く隠せもしなかった。
それは若さであり未熟さだと、一緒にいた先輩には言われた。どこか納得できないのも、態度に出してしまったことも。
ああいうときは、話に乗っておくべきだそうだ。「そんなに色々なところに行ったことがあるなんてすごい!わたしも行ってみたいなぁ」と言って、合わせる(そして相手を気持ちよくさせる)必要もあると。
今後の仕事を見据えた、営業的に考えたらある意味正しいのだろう。(今でこそ、それにしたってちょっと薄っぺらいやり方だなと思ってしまうが…)世渡りともいう。そこに違和感を覚えてしまい、かつ苦手だったわたしには、向いていない世界だったと今でも思う。
確かに、ヘアメイクの彼が言っていたことには一理ある。行けるのなら、行ったっていい。行けば、得るものは相応に大きいはず。ただ、行きたいと思うか。感性というのは、そうして磨かねばならない、そうしなければ磨かれないものなのか。それは個々の考え方と捉え方次第だろう。
今、わたしは日々の小さなことから捉えた景色や感情を元に、言葉にして表現している。身の丈に合わないものを求めるつもりもなければ、そうすることでむしろ失われるものだってあるとすら思う。
あのときの彼の言葉を、ちょっとしたマウントだったと定義づけてしまえば、わたし自身がこじれた人間だと晒すことにはなるけれど。まあ、一種のそういうものでもあったのでしょう(笑)
求めることは、高い目標を見据えることは、決して悪いことではない。わたしに関して言えば、日々の一歩一歩を踏み出し、少しでも良い明日を迎えようとすることで精一杯だというだけだ。格好良いことなんて何も言えない。
それでも。走っていなくても、駆け出すことができなくてもなんとか息をしようとして、今宵も膨らむ負の妄想をやり過ごしている。そんなどうしようもない人間なんです。
そんなどうしようもなく満たされない夜を抱えて、やり過ごすために眠ろうとしているひとがきっと他にもたくさんいるんじゃないかということに、やはり勝手に思いを馳せている。
勝手にだけれど、あなたもわたしも、穏やかな明日を迎えられますようにと。
この寒い夜に、小さく願っている。