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はじめてnoteを読む方へ
壊れたセカイと言われた、わたし。
「おまえは壊れてるんだよ。」 「曲がった家庭で育ったから、普通じゃないんだ。」——ずっとそう言われ続けてきた。
親戚を転々としながら育ち、毎日、帰る場所を失わないことに必死だった。
息をするように笑顔を作りウソをつく。
まるで呼吸の一部になってしまったような日々。
しかし今考えると、その「普通でない」毎日が、今のわたしが「チガウ」ということを、ただの違いとして受け止めることができるベースとなったのかもしれない。
そんなわたしには、生まれつきちょっと変わった「セカイ」があった。色覚多様で見える色の違い、共感覚で感じる感情や記憶の色や温度が広がる世界。
けれど、それを話すと「嘘つき!」「ガッチ!(障害者)」と呼ばれた。
普通の人には見えないし、感じられないらしい。
精神病院に連れて行かれては、いつも泣かせてしまっていた。
求められる「普通」をなぞって生きることが、当時、唯一の自分の生きる方法だった。
世界を変えた、たったひとつの言葉
そんなわたしの人生を変えたのは、あるアニメのセリフだった。
「逃げるな。生きる方が、戦いだ!」
その瞬間、わたしの世界が一変した。
まるで長い間閉ざされていた窓が勢いよく開かれ、鮮やかな光と風が吹き込んでくるような衝撃だった。ずっと胸の奥にしまい込んでいた家族の記憶、触れるとチクチクするからと避けていた。
恐る恐る記憶を開いてみると、そこにあったのは過去ではなく、これからの自分へ続く道だった。
そこから、わたしの毎日は色鮮やかなものになった。
映画、アニメ、舞台ーー。
現実とは違う“セカイ”を生きる人々。その「違うセカイ」だけは、どんな人生を歩んできた人でも受け入れてくれて、誰からも否定されなかった。
わたしにとって、そこは自分らしく居られる場所であり、拠り所だった。
役者を志して専門学校へ進学した。
“しょうがい”のセカイ
役者業と並行して出会ったのが、視覚障害、聴覚障害、肢体障害、知的障害——“しょうがい”の世界。
それぞれの「セカイ」を知るうちに、これがものすごくシンプルに面白いと感じた。
文化も、歴史も、伝わるカタチも、伝えるカタチも、すべてが違う。
でも、それがいい。それが楽しい。
どれも間違いではない。
だからこそ、わたしはこの「アクセシビリティ」という面白いセカイに移住することに決めた。
「壊れたセカイ」から、「広がるセカイ」へ
字幕や音声ガイドは、見る人が受け止めて創造して初めて完成する「未完の言葉」だと思っている。
“感じる”を“伝える”に、
“伝わる”から“動く”に変える仕事。
わたし自身の「チガウ」が誰かの「フツウ」に変わる瞬間があるのなら、それはとても素敵なことだと思う。
完全にエゴの世界だといえば、そうなるかもしれない。
誰かのために「ことば」を届ける——そんな仕事が、いま、心から楽しい。
壊れているんじゃない。
違うセカイに住んでいるだけ。
そして、違うセカイに住む人たちが、もっと自由に楽しめる未来をつくりたい。
それが、わたしの「壊れたセカイ」で見つけた、新しい生き方だ。
結局のところ、わたしはただ、「面白い!」と思ったものに飛び込んできただけなのかもしれない。
人生のチートコードは持っていないけれど、毎日が新しいクエストみたいで、今も楽しく冒険中だ。