人生が一つの映画だとしたら。
人生は、自分が監督主演の映画。
ただし、脚本はない。
だから、キャスティングは念入りにやらなければならない。
監督の思った通りに動いて、あまり主人公を邪魔しないキャスティングをするか。
監督の意表をつく行動をして、ストーリーを思っても見なかった方向に持っていく人を起用するか。
ここで大事なのは、自分も誰かの映画にキャスティングされているということ。
だから、思った通りに動いてくれるキャスト(出演者)を探している人は、こう動きたいと強い意思がある人を選ばれないかもしれない。
こう動きたいという意思と、こう動いて欲しいという思惑が重なることもあるかもしれない。
ロマンス映画のヒロインになりたいのに、アクションを撮りたい人の映画に出ようとするのは、少し無理があるかもしれない。
それでもどうしてもその監督の映画に出たいのなら、自分の映画もアクションに変えてアクション女優になるか、その人にロマンス映画を撮りたいと思わせるしかない。
でも基本的には、人の映画には口を出さない方がいい気もする。それぞれが撮りたい映画をとれたらいいなと思う。
でも、出演者の強い思いで、映画が想像していたよりもずっと良くなるのも素敵だと思う。
ただ、自分は誰かの映画のキャストであると同時に、自分の映画の主役兼監督でもあることを忘れないようにしたい。
どんな映画にするか、どんな人を起用するかは、自分で選べる。
こんな風に、人生や生き方をいろいろなものに例えるのは、世界を新しい角度から見るのに効果的なことが多い。自分で思いついたものなら、なおさら。
「そっか、自分はただの脇役だからあの人の映画で活躍しようとしなくていいんだ、自分の映画に専念しよう。」とか、ふと思えるかもしれない。これが、人生とか幸せとか話が大きくなると、わかりにくくなるから。
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