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平成最後の年に成人する娘が、親にしてもらえてよかったと思っていること

私は、平成11年、西暦1999年に山梨県で生まれました。

自営業を営む両親に妹とともに育てられ、平成最後の今年度、成人します。

ここまで20年間育てられてられる側だった私は、まだ子育てをしたことがありません。

しかし周りを見渡せば、子供の将来を考えて一生懸命子育てをしている家庭が、たくさんあると思います。

私の両親も、小さい頃から運動に勉強にと、私の将来を考えていろいろなことをしてくれました。

きっと、私が覚えていない両親の努力もたくさんあるでしょう。

しかし逆に、両親は何気なくしたことなのかもしれないけれど、私はしっかり覚えているし、なんなら私の考え方にとても大きな影響を与えていることもあります。

人生の節目である成人を、平成最後という区切りの良いタイミングで迎える今。

一人の娘として、両親にやってもらって良かったなと思うことについて書いてみます。

我が家について

山梨県から東京に出てきた母と、東京育ちの父。

父は私のひいおじいちゃんから引き継いだ工場を経営していて、両親は周りの家庭よりも少し早く、私を産みました。

その2年後に妹が生まれて、さらについ最近(といっても二年前)には、ミニチュアダックスフンドのエクレアも、家族に仲間入りしました。

家族でバドミントンをするのが趣味、力バランスは母親が優勢の、四人(と一匹)家族です。

他人に優しくすることを徹底的に教えてくれた

ではまず一つ目の、親にしてもらえてよかったなと思っていること。

それは、他人に優しくすることを徹底的に教えてくれたことです。

私がすごく小さい頃から、両親は「他人にあげたらまた買ってあげるよ。あげないならもう買わないよ。」と繰り返しました。

というのも妹と年が近かったため、私が小学生の頃は、妹といろいろなものを取り合っていたからです。

キティちゃんのポーチとマイメロのポーチをプレゼントされたときは、二人でキティちゃんを取り合ったり。

私がやっと買ってもらった3個入りのガムを、妹がわけてとせがんで来てケンカになったり。

そんな時両親は、「あげたらまた買ってあげるよ。あげないならもう買わないよ。」のセリフ通り、「また次買ってあげるからね。」と妹に譲った私を慰めました。

妹が譲り合いを理解できる年齢になった時には妹にも同じことを教え、友達にものを譲らせていました。

初め、食べているお菓子を一口ちょうだいと言うと、「やだ!!」とお菓子を隠していた妹も、1口どころか残り全部をくれるようになりました。

ただ単に人に優しくしなさいと言われただけでは、「誰かを助ける=自分が損をする」と考えていたかもしれません。

損はしたくないと、譲り合いの心を学べていなかったかもしれません。

まだ小さかった私にとっては、「いつかまた両親が買ってくれるなら、今は誰かにあげてもいいか」という考え方は受け入れやすく、また自分も周りの人も同時に幸せになれると信じる、今の私の考え方の元になっているのかなと思っています。

自信を持たせてくれた

妹とモノの取り合いをしていた小学生時代。その小学生時代の終わり頃に、私は中学受験をしました。

私は自分の希望で中学受験をしたのですが、周りには、親の意向で中学受験をしている生徒も多かったです。

きっと、中学受験を経験した親御さんにとっては、塾通いや毎日宿題をこなすことは、そんなに珍しくなかったと思います。

そんな中、うちの両親は学生時代あまり勉強をしていなかったため、塾に通い宿題をこなす小学生の私を、引くほどに褒めてくれました。

夏だとまだ少し夕陽が残るような、夜の7時ごろ。

塾の授業が終わって父の車に乗っていると、「本当にすごいよ」「いまの俺でもできない」「そんなに勉強して頭がおかしくなっちゃうんじゃない?」と、二日に一回は言われていたような気がします。笑

周りにも、同じように塾に通い、それこそ私より良い成績をとっている友達がいるなか、褒めてくれた両親。

そのおかげで、自分って特別かも!と根拠のない自信を持ち始め、自分に自信を持ってさまざまなことに挑戦できるようになったのかなと思います。

実は受験後、進学校に通い始めた私が友達の話をすることで、同級生の親と自分を比べた母は、学歴コンプレックスを強めていました。

しかし、もし私の両親が中学受験を当たり前にするような子供時代を過ごしていたら、自信を持ちながら楽しく勉強できなかったのではないかと、私は思っています。

本を惜しげもなく買ってくれた

ところで、私の学びの場は、受験勉強だけではありませんでした。

今もそうなのですが、普段はお金にうるさい母も、お小遣いとは別に図書カードを支給してくれました。

そのおかげで小さい頃から、漫画からビジネス書から小説まで、読書を趣味の一つに挙げられるくらい幅広いジャンルの本を読むことができました。

それが直接の理由かはわかりませんが、私は、高校まで国語が得意科目。今、大学で哲学を専攻したいと考え、ライターやコピーライターなど言葉を使った仕事に就くことを目指しています。

本って、誰かが人生をかけて何十年を費やして学んだことや、たくさんの調べ物をしてやっと知ることができるような未知の世界を、あの値段で売ってくれているんですよ。

そう考えると、読むしかない。今ならそう思えます。

でも、バイトができなかった中学生、高校生の頃の私にとっては、何千円を本に費やすってなかなか難しかった。

未来のことを考えて自分に投資するなんて考えられなかった頃から、本を読む環境を整えてくれたのには、本当に感謝しています。

私への愛を伝えてくれた

本を読む環境を整えてくれた母親と聞くと、静かで柔らかな女性像が浮かぶかもしれませんが、めっそうもない。

感情に素直に生きているうちの母は、私が小学校に入る前から、「いじめられたらママが牢屋に入ってでもカタキを取って守るからね」と、任侠映画さながらの言葉遣いで私への愛を伝えました。

言葉の過激さはともかく、感情がこもったこの言葉のおかげで、何か外の世界でうまくいかないことがあっても、親は受け入れてくれるだろうという安心感を常に持てていました。

それこそ、「大事に思っている」程度では本当かな?と疑ってしまうかもしれないけれど、カタキをとって牢屋に入るまで言われると、その思いの強さを実感せざるを得ませんでした。

母は特に感情的で過激な思考回路(笑)を持っているので、折り合いをつけられずに衝突してしまうことも多いのですが、母らしいそのセリフは今でも覚えています。

実際何かがあったら、母が何かをしでかす前に父が止めると思うので、安心してください。

私の突拍子もない選択を応援してくれた

そんな変わった母に似たのかはわかりませんが、昔から私が選ぶものは、周りの子と違うことが多かったです。

歩けるようになったばかりの頃から、アメ玉よりも酢昆布を好んでいたほど。

その中でも一番突拍子がなかったのは、留学経験ゼロでアメリカの大学に出願することだったと思います。

アメリカの大学に入学するということは、英語圏に旅行ですら足を踏み入れたことがない状態で、いきなり4年間アメリカで勉強するということ。(半年に一回長期休みには日本に帰ってきています。)

ろくに進路も考えず文理も決めていなかった高校三年生目前の私が、急にアメリカの大学に行きたいと言い出した時、初めは冗談だと思い取り合わず、本気とわかると学費の面で反対していた両親も、最終的に私の選択を尊重してくれました。

これから私がどんな職につくかわかりませんが、それが険しい芸術や音楽の道であっても、英語が全然関係ない職業でも、きっと応援してくれると思います。

自分の人生を自分で決められる。そのことが、本当に幸せだなと思っています。

親子関係って、難しい。

親と顔を合わせれば喧嘩をしている私でも、考えてみると感謝をしていることはたくさんあるんだなと、自分でも驚いています。

子供からしたら、それこそ親は選べなくて。親子関係は、自分で付き合う人を選ぶ友人関係や恋人関係とは、少し違いますよね。

成人というのは、親と上手く付き合っていた人もいなかった人も、親に恵まれたと思っている人もいない人も、責任のある一人の大人として人生を再スタートさせることができる、良い節目なのかなと思います。

ここまで育ててくれた両親に感謝しつつ、今子育てに奮闘されているお父さんお母さんに、素直じゃない娘を代表して、エールを送ります。

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