恵まれて、幸せを勝ち取るということ。
成功した人が、口を揃えて人に恵まれていたと答える。
それは、偶然ではない気がする。
たまたま人に恵まれている人だけが成功するというよりも、その人は恵まれるべくして恵まれていたような、そんな感覚。
最近、友達の友達に誘ってもらってコピーライターとしての仕事を始めることができたり、以前通ったライター講座のつながりで記事を書く話をもらったりした。
友達の友達にクリエイティブカンパニーを起業しようと思う人がいたこと、メディアの編集長をしている人が同じライター講座に通っていたこと。それらは偶然で、わたしが恵まれていた部分。
一方で、その人と友達でいるだけでは、同じライター講座に通っただけでは、チャンスも来なかった気がするのだ。
広告会社でインターンをしてコピーライターとして働くことを体験したからこそ、ライター講座に通うことを決めて、学んだことを生かしてツイッター運営を続けていたからこそ、巡ってきたチャンスでもあると思っている。
それはつまり、これらはわたしが努力だけで勝ち取ったものでもなければ、棚からぼたもちで手に入った環境でもないということ。
適切な努力と、そんな適切な努力をするための環境と、そして適度な運が重なったんだろうなと思っている。
だから今のわたしにできることは、適切な努力をするための方法を分析して広めることと、運の部分や努力するための環境を整えてくれた人への感謝を忘れないこと。
でも、感覚として、運よりも人に恵まれることの方が簡単だと思う。上に書いた適切な努力というのは、人に恵まれるためにするべき努力とも近いかもしれない。
自分の夢を実現するための努力と、それを多くの人に知ってもらうための発信を続けること。
自分の夢を叶えるための熱を持ち続けるとともに、他人の幸せを願い、人のために行動すること。
それを繰り返していると、人に恵まれていたとしか表現できないような、ラッキーなことを誰かが運んできてくれる。必ずとは言わないけれど、結構な確率で。
12万人フォロワーがいる5歳さんがツイッター運用についての講義で、発信を続けるとバズったり思わぬ人のところに自分の言葉が届いたりすることを、「ツイッターの神が微笑む」と表現していた。
努力すれば神が必ず微笑んでくれるという確証はない辛い世の中だけれど、努力をするとそこそこな確率で微笑んでくれる。人の世界はそんな生ぬるい世界のような気がするのだ。
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