よわさと、つよさと、やさしさと。
生まれたときからつよい人なんていない。
なぜなら、つよさとは自分を変えることだから。
感情に従って生きている人は、頭で何かを決めて実行することができない。
大切なことだとわかっていても、そのときの感情に負けて、すぐに逃げたりやめたりしてしまう。
そんな人は、考えて着々と計画を進める人につよさを感じるだろう。
一方で、考えることを習慣にしてきた人は、気持ちに従う、気持ちを表現することができない。
自分が楽しくなければ意味がないとわかっていても、周りの目や未来のことが怖くて、気持ちを大切にできない。
誰がなんと言おうと、未来に不安が残ろうとも、今自分がしたいことをできる人につよさを感じるだろう。
言ってしまえば、どちらもつよいのだ。
みんな、つよくて、みんな、よわい。
自分を変えるのは、何かを受け入れるのは、簡単なことではない。
例えば、習慣や考え方を変えるということは、今までの自分を、それに費やしてきた時間を、否定するということでもある。
よわい自分を、認めるということでもある。
そんなの、本当はしたくない。つらい。
できることなら、自分のつよさだけを見て、これで十分だと言い訳して生きていきたい。
それでも、誰かのつよさを認め、その今の自分にはないつよさに向かって、足を進める。それ自体が、つよさだ。
だから、自分を変えられた人が、つよい人なのだ。
つよい人は、自分を変えるつらさを知っている。
自分のつよさだけを見たくなる気持ちを、知っている。
だから、つよさは優しさでもあるのかもしれない。