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もっと、逃げていいって言う人が増えればいい。

[読了目安: 5分]

読み終わって幸せな気持ちになれるnoteではないかもしれないけど、読んだら誰かをいつか助けられるかもしれないnoteです。

学校とか会社とか大きな権力の中にいると、そこから抜け出すこと、まともな考えをし続けることは難しいんだなということを、授業を通して学んだという話。


今日、社会学の授業でスタンフォードの監獄実験についての30分動画を観た。

有名な実験なのかもしれないけれど、私は授業で初めて、この実験について知った。

それをもとに作られた映画がこれ。予告だけでも、内容はつかめるはず。

ざっとまとめると、行動観察実験のアルバイトと言って集めた大学生を、看守役と囚人役に分けて、架空の刑務所で何が起こるかを観察するという心理学の実験。

権力(実験者)が個人(被験者)に対してどれだけ強い力を持っているかを示すとともに、実験を行う際の倫理性について、大きな議論を巻き起こした実験でもある。


監獄実験の結果、看守役の生徒は多数の暴力行為をし、囚人役はそれを受け入れた

本物の刑務所ではないこと、囚人役の大学生は何か罪を犯したわけではないこと、ただの心理学の実験であること。

参加した大学生はそれをわかっていた。

でも看守役の大学生は、役になりきって囚人役の学生を殴ったり、理不尽な罰を与えたりし始めた。

その暴力は、囚人役の学生がとった行動に関係ないものもあったし、監修役の実験者がいないところではさらに酷い暴力が行われた。

そのうち、「これはただの実験じゃないか」と言い争っていた囚人役の生徒も、その状況を受け入れ始めた。理不尽な暴力に歯向かわず、良い囚人になろうと努力し始めた。

気が狂ったように振る舞えば実験者が実験をやめてくれるかもしれないと、夜中に大声で「助けてくれ、実験をやめてくれ。」と叫び続ける学生もいた。

そして最終的に、2週間を予定されていたこの実験は、5日で中止にされた。


もうとにかく、動画を見ているのが辛かった。

監修役の生徒は頭がおかしいんじゃないかと思った。実際におかしくなっていたのかもしれない。

そして私は、その動画をもうこれ以上観たくないという気持ちでいっぱいだった。それなのに、教室を出ることができなかった。

試験でこの動画のことを聞かれるかもしれないという計算とか、何かを学ぶために観なければという使命感でもなく、授業だから教室にいなければならない。

そんな、なんとなくの理由で、一生懸命に関係ない楽しいことを考えようと努力しつつ、その動画を見続けた。


思い出した、いくつかのツイート

この動画を観て、私は今朝タイムラインに並んでいた、このツイートを思い出した。

2週間くらい前、多くの入学式や入学式が行われた頃に読んだツイートも思い出した。

たらればさんがインタビューを受けた記事内で引用されていたツイート)

全部は探し出せなかったけれど、他にも、新社会人にむけて頑張らなくていい、世界は広い、働き方はたくさんあるという内容のツイートを、たくさん読んだ。


きっと、大きな権力の中にいると、何が本当かわからなくなる

私がこの実験から思ったのは、大きな権力の中にいると、そして周りがそれに従っていると、そこから抜け出すのは難しいんだということ。

「観るのが辛かったなら、先生が怒らないってわかっているなら、教室から出ればよかったじゃない。」

今の私なら、授業を受けていた私自身に言える。でも授業中の私はそれができなかった。

学生が牢屋ごっこをして正気を失ってしまったあの実験と、何が正しいのかわからなくなってしまうような学校や会社は、同じだ。


私は今、広告業界で働きたいなと思っている。

キラキラしていると同時に、あまり心が踊らないような噂やニュースも聞く。

大学生の私は、辛かったら辞めたっていくらでも先はあるし、社会に戻れないわけじゃない。社会から外れるわけでもない。と思う。

でも、辛くても辛くても、上司に「これが社会人だ。」と言われたら。

就職活動でとても苦労して、他の会社に入るなんて無理だって自分でも思っていたら。

仕事を辞めずに耐えて耐えて、そして人生を終わらせたくなるかもしれない。


想像でしかないし、本当に今辛くて頑張っている社会の先輩からしたら、私は1ミリもその人たちの気持ちを分かることが出来ていないと思う。

でも、40年も前の実験からわかっている、権力の力はとっても大きいということ。

「頑張らなくていいんだよ。」と何万人ものフォロワーに伝えてくれる人が、SNSにいるということ。

今少しずつ勉強している何かを書く技術は、辛い気持ちを和らげる温かいものを作ったり、みんながおかしくなっちゃう閉鎖された空間からの逃げ道を照らすために、使えるかもしれないということ。

そんなことを、このインターネットの大海原に小さくても残せたらいいなと思って、このnoteを書きました。

みんなが楽しみながら助け合える、そんな世界になりますように。

<追記>

冒頭で話した実験がやらせであったことを示す音源が2018年になって出てきたそうです。

あの実験結果が作られたものなら、自然にそうなったよりも気持ちの面ではよかったかもしれない。捏造は良くないけれど。

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