見出し画像

話すも話さないも自由だからこそ、伝えたい。

「ね、ほら椅子もちゃんとこっち向けてさ。みんなで意見を交換しようよ。」とジョーが言った。

あぁ本当にごめん、と思った。

私は今アメリカの大学に留学に来ていて、授業でよく小さなグループを作って議論することがある。

私が参加するグループは、席が近い人で集まるからいつも同じメンバー。アメリカ人のジョーはとてもフレンドリーで、自分の意見を言った後に私と、もう一人の中国人の男の子に話を振ってくれる。

あとの二人のアメリカ人男子も、話を振られたり、自分からジョーが言ったことに反論・賛成したりして、話を盛り上げる。


ただ、私も中国人の男の子も、英語がそんなにできるわけではない。

自分の意見を伝えることはできる。でも、アメリカ人の男の子たちが早口で話した意見を完璧に理解して、関連するエピソードをすぐに引っ張り出して、流暢に、面白おかしく話したりはできない。

未だ友達にほぼ全ての文の文法ミスを直されているくらいだから、私の意見を伝えるのも一苦労。言った後に文法めちゃくちゃだなと気づくことだって日常茶飯事。

この状況だから、毎回ジョーが話を振ってくれるまではただ笑顔で黙って、話を振られたら自分の意見をささっとまとめて伝えて、また黙っていた。

そんなことを繰り返していたらジョーからもっとみんなで議論しようよという冒頭のセリフが来た。

とても優しい、腫れ物に触るような言い方だった。


原因が私にあることを棚に上げて良いのなら、ジョーにとても同情する。

毎回自分ばかりが喋らされていては不公平に感じるし、なんだか壁を感じる。

私は教授の質問には手を挙げて答えるし、隣の中国人の男子と普通に世間話をしている。それなのに、グループワークになった途端だんまりを決め込むし、何を聞いても「良いと思う。」しか言わないのだから。

グループディスカッションに参加したいのかすらわからない。

そう、何もわからないから、ただただ困る。


ジョーの気持ちがそこまでわかっていることも棚に上げて良いのなら、たくさん主張したいことがある。

相手の意見を完璧に理解しないままコメントしたら、何かズレたことを言ってしまうかもしれないって怖い。

自分の拙い英語に付き合わせて相手の時間を使うのも気が引けるし、本当にいつもそれで良いと思っているから良いと言っている。完全に同意しているわけではないけれど。

別にアメリカ人にも物静かな人はいるし、日本にいる時だって私は特に明るいムードメーカーというわけでもない。静かな女の子ってことで良いんじゃない?


そんなことを考えているといつも、また別の私がひとこと、「言い訳は、全部正しい。」ってボソッと告げる。

そう、私の言い訳は全部正しいのだ。英語が私の第一言語ではないことも、だから相手の話を理解したり、自分の意見を堂々と伝えることが難しいのも。同じくらい無口なアメリカ人の女の子がいるかもしれないということも。

でもどんなに正しい言い訳で自分を正当化しても、状況は何も良くならないし、ジョーは何も知らないままだ。

ジョーから見れば、私が罪悪感を感じながら黙っていても、最高の言い訳を使って自分を正当化したうえで黙っていても、同じなのだ。


私には、話すか話さないかを選ぶ権利がある。

それはアメリカの大学でのグループワークに関わらず、気持ちを好きな人に伝えようが、自分の秘密をどれだけ親友から隠そうが、嬉しいと思ったことを相手に伝えようが、全部私の自由だ。

何を話さなくても、私にはその権利があると言って、自分を正当化することができる。

でももう一つ正しいのは、私が何かを伝えることで、相手を幸せにできる場面もあるということだ。

ご飯が美味しかったよといえば作った人は喜ぶだろうし、旅行先であなたらしいものを見つけたからお土産として買ってきたよと伝えれば、相手は嬉しいはず。

私が勇気を出して会話に参加して自分の意見を話したら、もしくは英語に自信はないけれど会話に参加したいと伝えたら、ジョーは喜ぶだろうか。安心くらいはしてくれるだろうか。

してくれるかなと私は思うから、話すも話さないも自由だけれど、きちんと自分の気持ちを伝えたい、な。

あああ頑張る!!!

#留学 #コミュニケーション #人間関係 #日記 #エッセイ #コラム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?