素顔でもべっぴんが「すっぴん」ならべっぴんじゃない素顔は何ぴんなのか。
私の通った高校はスポーツに重きを置いており、偏差値は高くないが全国に名の通った高校だった。全員が何かの部活に所属するという校則があり、運動経験ゼロの私は、ほぼ帰宅部である軽音部に所属していた。同級生が汗を流して甲子園や国立を目指し青春をしている時、私は家でベースを弾くか、バイトでお弁当作りをしていた。
そんな高校だったので必然的にスポーツ女子が多く「女子高生」と聞いてイメージするような、風で前髪が乱れるのを必死に手で押さえるようなキラキラ女子はほとんどいなかった。校則として化粧を禁止されていたが、それに不平を漏らす友達もほとんどいなかった。かくいう私もキラキラ女子とは程遠い陰キャであった。
そんな3年間のおかげで化粧のけの字も知らないまま卒業を迎え、卒業アルバムには血色の悪い顔がずらっと並んだ。
低血圧低血糖、陽を浴びていないのにどす黒い肌色の私はクラス写真の中でもダントツに不健康そうであった。
母は「高校生ってもっと心も体もはち切れる感じなのにね」とよくわからないことを言ったが、母の高校時代の写真は確かにはち切れそうであった。
卒業後進学した地方の専門学校では、周囲の全員が当然のように化粧をマスターしており、初めて身近に女子を感じ、それと同時に自分の芋さ加減に絶望するしかなかった。急いでドラッグストアで化粧品を買い集めたが、何をしても子供のお遊びのようで、明らかに顔に馴染まない気がして、結局すっぴんのまま登校することがほとんどだった。
1学期が終わり、夏休みの帰省中におばあちゃんに会いに行った。私のおばあちゃんは小さくて白くて可愛い、おばあちゃんの見本のようなおばあちゃんである。優しくてお話好きで、体のどこを触っても柔らかい。小さい頃から遊びに行くと、食器棚の奥からポッキーやたべっ子どうぶつやハイチューなどのお菓子を出してくれた。3人兄妹である私たちが取り合いにならないように、同じお菓子を3つずつ。泊まりに行くと朝一番に生ぬるい手作り野菜ジュースを飲まされること以外は、おばあちゃんのことが大好きだった。
数ヶ月ぶりに会ったおばあちゃんは、私の顔を見て「あんた化粧しないんか」と聞いた。「化粧似合わないし、すっぴんが楽なの」と答えると、「あんたは、美人だからいいねえ」とニコニコしながら、すっぴんとはノーメイクという意味ではなく素顔でも別嬪という意味だと教えてくれた。
おばあちゃんという生き物は孫が可愛く見えるらしが私は美人ではない。
では、美人別嬪ではない私の素顔はすっぴんではないということになる。
それ以来自分をすっぴんと表現することに抵抗があり「ノーメイク」と言うようになったし、薄く化粧をするようにもなった。
専門学校のクラスメイトとはよく泊まりがけで勉強会をした。おばあちゃんが教えてくれたすっぴんの話をすると、みんなで顔を見合わせて、誰もすっぴんいないじゃん、と笑った。
ところで、べっぴんではない人の素顔はなんというのだろうか。
不細工だったらガチャピンだろうか。
すっぴんになりたいなあ。