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「懐かしい」はわたしのお守り

昨日のこと。
6年ぶりにある方に会い、大切なモノの影を写す機会をいただいた。
それに誘ってくれた友人には感謝しかない。

わたしはいつの日からか「懐かしい」感情が異様なまでに好きだと感じている。
懐かしいと感じるものを見たときに、ふと懐かしさを感じた時に、全く整理されていない脳から当時の記憶が出てくる。
大抵は当時の幸せを思い出し、時には寂しくもなるけれど、自分が小さかったときのことを思い出し、その時の自分と取り巻く環境に愛おしさを覚えるからだ。


今回思い出したきっかけはあろうことか、そこに生えている小さい「ねこじゃらし」だった。
初めは何気なく手にし、「(友人に対して)そこらに生えてるねこじゃらしも、あなたといた時間の大事な記憶になるねぇ〜」とかいいながら摘ませていただいた。

それを持って会場に向かい、いざ影を写し、その影を見ながら「ねこじゃらし」を持った時に、突然、本当に突然、小さい時のことを思い出した。

幼い時、母と公園でねこじゃらしを手から出したり、手の中に入っていく遊びをしていたことを。(補足:指を丸めたところに、穂の部分だけを軽く持ってぱふぱふしてると穂の向きによって出たり入っていったりする)

(あ、なんだか泣きそう)
突然目に水の膜ができた。
母は今も健在で、なんなら2時間前まで実家で話していたにもかかわらず、どうしようもないくらい母が愛おしくなってきて、小さい時にわたしにこれを教えてくれた母が愛おしくなってきて、それを見てケラケラ笑っているわたしを思い出して。必死に泣くのを耐えていた。
そして、目を閉じると、やや夕暮れ時の少し暗くなってきている近所の大きい公園の景色も、当時飼っていた雑種の犬、ルルの姿も一緒に浮かぶ。

こうなると一気に思い出す。
公園から家に帰る時に母と手を繋いでいたこと。
母の手にはルルのリードがあること。
踏切を渡った先の駐車場に生えている紫の花を母に「スミレ」と教えてもらったこと。

ある日、我が家にルルがやってきたこと。
たまにルルの散歩がてら参道のお団子屋さんでお団子を買って食べたこと。
別の日に長男と一緒にルルの散歩をして、一緒にお団子を食べたこと。
三男と遊んでくる!と言って一緒に出て、自転車の兄を追いかけて往復6キロ近く走った小学1年生の時のこと。
放課後、小学校で遊ぶ時に、たまたま家にいた次男に2ケツして学校に送ってもらったこと。
2ケツがダメなのを分かってるから、信号待ちの時とかは降りていたこと。

書ききれないくらいに幼き日の記憶を思い出す。

そして、こうやって色んな気持ちを知り、色んな経験をしてきたから、だからわたしは、今を生きることができているんだ。そう思えることに気づく。

忘れかけていた楽しい、嬉しい、苦しい記憶に出会い、24年間、無意識に生きていたわけではないことに気づく。
スミレを知らなかった私は今、色んな花や草の名前を知っていて、あの時書けなかった漢字が書けて、あの日わからなかった算数の問題は余裕で解ける。私に勉強を教えてくれていたお兄ちゃんの年齢も超えて、社会人になって、自分で稼いだお金で生活をしている。

わたしに「懐かしい」という大事な大事な記憶がある限り、わたしの歩みは止まらない。
つまり、わたしにとって「懐かしい」の感情はわたしを励ましてくれるお守りなのだ。

だから、「懐かしい」という感情に触れることが好きなのだと、再理解をする。


これからもさまざまな記憶を大事に大事にわたしの頭に残しておくことで、わたしは常に励まされ、自分の歩みを進めて行ける。

そして、これからはわたしが誰かのお守りになれるような記憶になりたいとも思う。


改めて、貴重な機会をありがとうございました。
昨日があったから久しぶりに文章を書きたいと思えたし、なぜ自分が頑張れているのか、言語化できました!出会いに感謝して。

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