「普通になりたい#3」
環境活動家しいなさんのインスタライブをみて。
前半部分でお話しされていた健康と食事に関してビックリするほど私のママ考え方にすぎていた。そしたら、語りたくなったので、長文をかきます。
しいなさんのママによると「健康と食と心」が大事とのこと。
*質素なご飯。
*名前のついた料理は家では出てこない。
うちのママも「すべて引き算で考えな」ってよく言ってる。健康と食に関しては煩い。本当に煩い。
肌につけるもの、入れるもの、添加物、カタカナのモノ、電磁波、一切禁止。
電子レンジ、炊飯器、コンビニのもの、そこらへんのスーパーで買ったもの全てない。
テレビもリビングには無くて親の部屋。
1番の最近の悩みは、寝る時間になるとWi-Fiを消されて大事なミーティング中にzoomが落ちてしまうこと。この後いつもママにありえない!!と怒鳴ってしまう。
しいなさん家と違う点。今日発見した点。
それは、「心」
健康と食に関してはどこに行ってもできる限りの事を尽くすママ。それだけは絶対に譲らなかった。
幼い頃から、私は外でも友達と違うものを食べさせられた。給食もこだわりの無い牛乳は抜かれてた。テレビもDSもダメなものはダメだった。
でも一つだけきっと心が足りなかった。日本という社会にいるからこそ必要だったのかもしれない。
だから、私は常に逆に
「普通になりたい」
「みんなと一緒がいい」
「みんなと一緒じゃないから自信が持てない」
「話に入りたくて普通が体験できた時に幸せを感じる」
「人の顔色を見る。」
「自分と一緒にいて目の前の人は、楽しいと思わないかもしれない。だから、どうしたら目の前の人が私と一緒に何かをする選択、時間を共にしたことに満足してもらえるかを考える。自分がリラックスできる環境はほぼ追求しない、いやできない。」
と思ってしまう。
きっと、最後の「」に関しては表情筋だけ上手く動かせてなくて、(動かしながら硬さを感じるw)いつも内面相手に伝わってないか心配になる。
←分かる人にはわかると思う。でも、リラックスしていいよって言葉だけで言われても難しくて、むしろその方が辛いかも。
人が大好きだけど、ずっと人とはいられない。自分1人の時間がある程度必要になってくる。
そんな私がありのままでいられる場は、その人がどんな風に生きてきてどんな思いで今生きてるのか、を知った時。自分も伝えられた時。ものすごく安心して解放される。開放されすぎて迷惑かけるぐらい。
だからこそ、原点に戻る話や戻れる場が自分にとって居心地が良いし、自分はそんな場を求めて旅をしに米沢でヒトカタリをつくり、有田、無人島や宮古島、台湾にいったし、今自分の中心になってるラクロス界にそんな場が欲しくて対話の場IMARUN を作った。
「ありのまま」の自分でいたくても、「普通になりたい」自分との葛藤から今だに抜け出せてないの。
自分の選んできた選択が自分にとって価値あるものだったって本気で想いたくて、受けてきた教育を中学で研究したり、「自分が好きなこと楽しいことをしていても、普通がいい、みんなに合わせないと友達がいなくなる、変にみられたくない、」そう思ってしまう自分を打破しようと日々突き進んでる感じ。
私はこの4月から身体の調子が狂い病気になってしまって「心」の大事さを痛感している真っ最中。先週は突然の貧血、ラクロスも朝練はほぼ動けず、午後はアップするだけでダウンしてしまう状態。
その根本はなんなんだろうってこの2ヶ月掘り下げていった私は、「健康と食と教育」にこだわりを持ちすぎたママから「心の健康」を幼い頃からちょっとずつ奪われてしまっていっていたって事を自分の中で認めざるえなかった。(いつか、これを読んだママ傷つけたらごめん)
大学生になって「食と健康」にママからビシバシ言われる生活に戻ってから今日まで、ずっと家を出たかった。今のバイト代で絶対無理なのに一年生の頃1人で内見行ったこともあるくらい。
ママのおかげで食と健康が大事なのは頭痛いほどわかってる。でも、心が遠くなってしまったママが物理的に近くにいすぎて素直に従えない。距離がが近すぎてお互いに対話ができてないことも感じてるはず。だって無人島や寄宿いた時の方が仲良いもんww
私は今週末からママと物理的に離れた暮らしをさせてもらえることになった。
この病気、ママが私を育てながら伝えてくれた「食と健康」をとっても大事な情報として取り入れて自分で治します。
もう、「食と健康」に関して強制されなくても勝手に意識をしてしまうぐらいだから安心して。
自分なりに「心」も大事にした生活をしていきたい。
そしたら、きっともう少しぶつかる事無くなるよね。
ママ自分を育ててくれてありがとう!!
(つまり、もう強く言わないでほしい、情報として参考にさせてもらう。ほんとに充分伝わってるから!!家に乗り込んでこないでね??!笑)))
ここで私の人生ざっくり話すと...
あたらしい世界を沢山見せてくれるうちのママとパパ。
物心ついた時には、家も幼稚園もモンテッソーリ教育。
ママとパパの学校どっちがいい?と言われて突然徒歩5分にある公立の存在も知らずに、入学した私立の中華学校の小学校。
行く意味分からなくて、近所の友達が行ってる公立小学校へ転向したいと泣きわめき小1の10月に転校。
行きたく無くて熱まで出したのに無理矢理体験に行かせられたシュタイナースクール。公立の友達と離れるのが嫌だってけど、まあ行くのもありなのかなと不意に思い自分で行く選択をする。
この選択をして、「普通になりたい」が増してしまった。「ありのままでいたい」と強く思うようになる選択だった。シュタイナーでの原体験は一生モノ。
「自分らしくありのままでいたい」の感情を求めて、中3から家を飛び出て静岡県での寄宿舎生活を4年間する。
友人との喧嘩や、人、今までの環境とのギャップ、自分との葛藤を繰り返し、「自分がありのまま」でいられる環境に変えた。だからこそ、ここで出会った友達は家族ぐらいの存在。最近会えてなくて、みんなからしたら遠くに感じてしまってるかもしれないけど、ことの中ではずっと距離感変わってない。ずっと大事な大好きな人たち。
ありのままで、自分らしく活躍している人たちが多い大学に行きたくてSFCを試みるも失敗。大学受験の塾で素敵な人たちに会えた。
面接が楽しすぎてこれは絶対ご縁だと思った日本女子大学に入学が決まる。
だけど、悔しくて、その時興味持ってた地域活動を受かった翌日から再開。
本女なの認めたく無くて入学前レポートを提出せず大学入学2日目にして教員によばれる。最近になって、学科でやばい子と噂されてたのを知る。(1年の時知らなくてよかった、多分学校来れなくなってたw)
んで、「自分らしくいられる、自分がこれが好き!これで生きてきたい!」と思えるものを見つけに、とにかくこれ好きなのかな??と思った場に足を踏み入れることを未だに続ける大学生活。
地域、教育、食、キャンプ、自然、無人島、スポーツ、ビジネス、舞台etc...
ラクロスなのかな??
って思ったけど、ちょっと最近完全に「これだ!!!」とはまだ思えてない。
もはや、一生見つからないのかも??とか、思ってる。
だって、目の前のことに集中して生きてきたから。これからもそうなのかもしれないかなって。
どんな環境にいようと、その場で自分なりの楽しさややりたい事を見出してやってくのかなって。
どこにいようと、何をしようと、いつも私を見守ってくださる皆さんにはありがとうの言葉で溢れかえります。
遠くにいたとしても時々会いたくて突然そんな皆さんの元に飛んでいくかもです。
その時は温かく受け止めつつも想いをバンバンぶつけてくれたら嬉しいです。
こんな、アソコトミをよろしくお願いします!!
(3286字だったまじかーーー、はよ学校のレポートしろ、、私、、!!)