2023.7.12. 共鳴~Resonantia~
テスト期間中だよ、初めての文系の授業でのテストと期末レポート。
心配だから授業のレジュメ読み直してるけど、改めて見て自分なりにまとめるの好きになってきたかも。
集中力も十分に発揮したいからここ最近は珍しく23時に寝て5時に起きる生活(いつも夜遅くマイクラやってたからね…)お肌もなんとなく調子が良いね!
ここ最近寝不足で無気力だったのかもしれない。
安定の6時間睡眠で思考力も上がってきたのか今日はアイディアがたくさん降ってきた。気分も良かったね。これは今日note書かなきゃだねって思ってAimerの最新曲聴きながらこの記事書いてる。
そういえば前もこんなことあったな、
高校生ことりが勉強だけじゃなくて、部活とか課外活動、Techとか委員会とかいろんなことに手を出してる時だね。
勉強している時にふと「あ!オリジナル開発こういうふうにすれば良いかも!」「今度の委員会、これ提案したら良さそう!!」みたいな
マルチタスカー状態の時のアイディアの降り方すごいや。
この状態ならことりの目指してるくりえいてぃぶに近づけるかもだから、
覚えておかなきゃだね。
今日思ったことの一つとして、寝不足で無気力になってたことりが今日心にグッときたことを書き留めておくね。
最近はいろんな映画や演劇作品の資料を授業で見る機会が多いね。中でも今日は西洋の演劇についての授業で、宮城聰脚色・演出の『王女メデイア』の映像資料をみたよ。
その中のワンシーン、黒い法服を着たおじさまたちが、浄瑠璃の語り手になり、赤い絨毯に居並ぶ女性たちを浄瑠璃の演者として品定めする。
女の人たちは和服を着て、自分自身の写真を手に持っている。おじさまたちはその写真を見ながら自分がどの女性演者で語りたいかを決めていく。実物の顔を袋で被せているのは、おじさまたちがこれ!と決めた女性の袋をとった瞬間の、写真と実物とを比較して楽しむためだろう。ここのシーンはエンタメ要素的なのを感じた。
女性引いていきながら「当たり!」「いいね〜」中には引こうと思ってフェイントしてから別の演者を引く男性語り手たち。
その瞬間に先生がビデオを止めた
「ここら辺にしておきましょう。みていて気持ち良くはないですよね。あまり良い印象を受けない始まり方です。」つまりは男性に支配されている女性という構図が浮かび上がる。
可哀想
ふと思った言葉。
あれ、この言葉、普段自分は使わないはずなのにな。
なんで可哀想なんて、思ったんだろ。わからなかった。
可哀想って言葉、言う前にそういう人のために行動してたんだよな今まで。
もし自分がその人だったらっていう考えがすぐ頭に過ぎって行動してた、声をかけて心配して、口よりも先に手が動いてた。
みんなは可哀想って言葉は使う、、?
本当に可哀想な人には使わない言葉だと思うんだよね、
なんていうか、本当に可哀想な人に「可哀想」って言ったら、もっと可哀想に思われてしまいそうだから。言わないでぇ…って思う。この状況を想像するだけでもことりは悲しくなっちゃう。
これって同情ってやつ?多分そうかもね。最近疲れることが多かったせいか、何に対しても無感情だったんだけどさ、今日の悲しさで何か変わった気がするんだよね、これも学び、大切にしなきゃ
そいえば今聞いている曲、Aimerの『Resonantia』はラテン語で「共鳴」の意で、他人の意見や行動に同感すること。今日の自分の悲しみが誰かのResonantiaになるのかな。いつか表現してみたいね。
「後悔しても迷っても 信じて咲けばいい - Aimer『Resonantia』」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?