どっちを向くかはいつもわたしが決めている

今日は金曜なので、今週のお仕事はおしまいということになる。タイミングよく天候も上向きで、明日から始まる(そしてすぐに終わってしまう)週末にはもってこいの気持ちよさだ。

今週 1 週間を振り返って、結局わたしは自分の気持ちを前向きに引き上げることはできなかった。同じものをみてもどう感じるかは、自分の心持ち次第で変わってしまうことは十分に承知しているので、「すてきだな」「楽しいな」と思えなかったこの 5 日間は、わたし自身が決めた 5 日間の方向性ということになる。

こういうときに、むりやり「うっはーポジティブ人間でございます!」って割り切る力を持っていると自負していたのだけど、どうにも GW から始まった腰痛により力が出ない。(人というのは心身が完全につながっているので、どこかしら不調があるとどっちも万全にならないのだ)

その腰痛は坐骨神経痛というやつ。色々病院にいったところ「出産が原因の」という枕詞が結局乗せられてしまう。出産直前だった臨月も実は同じ症状に苦しめられていたので、「ああまたか」という悲しい気持ちに包まれている。(関係ないけど「包まれている」って美しい表現なのでこういうときに使うべきじゃないかも)

至極残念なのは、「出産が原因で」色々自分にネガティブな事象が続いてしまうことだ。ひとひとりの命をこの世に生み出して、それそのものはとてつもなく壮大で素晴らしいのに、その喜びにひたすら浸ることをこの世界は許してくれない。

いや、多分そうじゃない。正しくは、わたしが負うべき責任や不具合に対して、単に世界は無関心である、と言うべきかも。(世界は別にわたしがどうなろうと許すも許さないもないもんね)となると、わたしは私自身を許したり許さなかったりしていることになる。

何かが辛いなら、「それでいいよ」と言ってあげよう。
何かをガマンしているなら、「解放すべし」と言ってあげよう。

私はわたしの方向を決めていいし、それ次第でどうとでもなる。そんなことを思い出した金曜の朝なのです。

(これまで何かを書くことにすごく頭でっかちになって筆が進まなかったのですが、それ自体も自由になろうと思い最近 note を復活しているぼちこでした)

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