被害者意識がいちばんの敵
子どもが生まれてからの毎日は、楽しいとつらいの繰り返しでそれはもうまだら模様のようになっています。往々にして「つらい」は黒かったりグレー色なので、やさしい色合いの「ハッピー」を簡単に凌駕してしまうのがよくない。と最近つとに感じるようになってきました。
優しい気持ちになったり、人間が成長することそのものに感動したり、家族で過ごす柔らかな時間にほっとしたり、そういうものに目を向けようとしてもついついどぎつい「つらい」ダークカラーが存在感を増してきます。
しかたないよね、だってしんどいんだもん
おもえば、いつもこの言葉を免罪符にして、私はここ1年近くをもったいなく過ごしてきました。ダークカラーが目にちらつくのは、そもそもそいつがあることが間違いなのだと。
でも実はこれは育児に限らず、人生観的なものなのかもしれなのだと最近おもうんです。物事には必ず 100% 両面あって、一つの側面だけをみるとどうしたって納得性にかけることになります。そして多くの人の人生観でいくとしんどい方の側面を見がちだし、そのほうが楽だったりするかもしれない。「自分が悪いのではない」と責任転嫁をしたいがために。
たぶん私はこれまで、(産前まで)ポジティブな側面に目を向けることを意識的に行っていたし、それが正解だと信じていました。でも、今それができないんです。それは人生観の変化か?よく言われるように子どもを生むという大イベントで大きな変化を迎えたのか?
そうじゃない、と感じます。変わったのではなく、余計なものが「ネガティブ側面」にひっついてそれをサポートしているんです。それが、つまり、被害者意識。
私だけが妊娠して体がしんどい
私だけが授乳してしんどい
私だけが夜中対応してしんどい
私だけが仕事に影響があってしんどい
私だけが、
私だけが、
私だけが、、、
ああもう書いてるだけで嫌…震える。そしてこういう感情をどこか持ってる人ってそうとう魅力的に欠けますね。ましてやこういう感情に支えられたダークな一面をがんがんに押し出される夫の気持ちを考えるともう同情をこえて心配です。
自分はどういう人間でいたいか?どういう妻でいたいか?どういう母親でいたいか?そう考えると答えはとても明らかで、物事の「楽しい」の側面を大切に愛おしく思える人間です。そして、私も関わるすべてのひとにそれを期待しています。それをけっこう難しくしている「被害者意識」をしっかりと認識してお掃除してしまおう。私はこう心にかたく誓ったのでした。
蛇足:
たぶんこういうのを思ったのは、立て続けにみた映画 2 本の影響もあるかもしれないです。
脳内ポイズンベリー
Amazon Prime で見た一本。頭の中でポジティブとネガティブと理性と本能が会議して一人の女性の恋愛と人生を組み立てていく物語。スーパーコメディなんだけど真理をついていて、人は「自分の視点」と「自分の人生」の持って生き方を決められる大きな自由をもっていると感じさせてくれる一本。当たり前のようで勇気がでた。
ワンダー君は太陽
外見に障害をもった子どもが家族や友達、社会を通じて人生をギアチェンジしていく物語。そして一人ひとりの前向きさや行動や発言が、連鎖してすべてをハッピーに変えつ力をもつ。そのストーリーそのものでもう冒頭から最後まで涙止まらず最高の感動作なんです。ただそれだけでなく、それぞれの視点を独立して描くことで「君はある物事についてそう解釈してるけど、ほんとにそれは真実?」ということを何度も何度も確認させられる。そう、何でも片一方だけだとバランスを欠いた理解になるんです。と痛感しました。
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