過去の活動についての清算

はじまり


元々小学生(まだ3DSのうごメモやyoutubeのくだらない茶番、SEARDsなどが流行っていた時代)のころから創作活動に興味があり、いつかipadに身内用に見せている作品を全世界へと媒体を使いさらに広めたいと思っていた。
そんな自分は2020年4月15日、キャスフィと出会うことになる。
キャスフィは典型的な電子掲示板ではあったが、民度やUIが良かったことから私は惹かれ、創作物と交流のために4月18日、スレッドを立ち上げた。
12月までは平和に創作物や学術研究としては覚束ないものを投稿したりたまにネットフレンドのスレッドや他のスレッドに入り浸っていた。のだが、12月27日に突如5chの某荒らしにかぶれた荒らしがキャスフィ全体のコミュニティを破壊し、私はトラブルに巻き込まれながらも知人が管理人をやっていたUという掲示板へと逃れることになった。
Uという掲示板はキャスフィよりもさらにこじんまりとした個人の掲示板であり、管理自体も行き届いていたため私はこのUという掲示板で心機一転媒体として再スタートすることを決意した。
2021年3月、キャスフィ閉鎖。
今思えば、これが自分の活動を大きく汚すことになったことなのかもしれない。

トラブルへと

2021年の春からUという掲示板で媒体として立て直すことにし、キャスフィから多くのデータを持ってきてUを一種のクラウドとして使うことにした。
5月には管理人からの誘いでつたない文ながらも自分の漢字に対する熱意やらを語る場を設けて貰い、一種の寄稿をさせて頂くことが出来た。
ただその一方でUという掲示板はかなり厄介な状況に陥っており、キャスフィが閉鎖した際に一部の思い上がった人間がUへと「キャスフィの後継」として宣伝してしまい、自分がいた2月と比較してユーザー数が6倍に膨れ上がっていた。
それでも世間的に見れば場末と言っても差し支えない程度のものだが管理人一人では余りにもさばききれない量であったため、新しい管理人が増えることになった。
そしてキャスフィにいた荒らしや一部のおかしい人がUに対して中傷、俗な言い方で粘着をすることにもなってしまった。
卑怯なことにその人間らはJという掲示板や爆サイなどでUの管理人に成りすまして極めて稚拙な文や中傷の書き込みを繰り返していた。
更にはヒートアップし特定のユーザーに対しても中傷を繰り返すようになり、U掲示板では4人目だろうか。自分がそのターゲットになってしまった。
この時点で6月。
J掲示板で「ばか」「カンチョーしたる」などの稚拙な中傷を見たあの時の恐れと気持ち悪さが喉の奥から込み上げてくる感覚が今でも残っている。
そこから悔しいのだが中傷の過激化を避けるためにも一か月半インターネットでの活動を控えることにした。
況や中傷を止めるためにもJ掲示板の管理人、jeison_biz氏に当該スレッドの削除依頼を申し込んだ。
キャスフィとは違う掲示板だとはいえある程度のルールがあったので削除してもらえると期待していた。
のだが、jeison氏は一か月以上反応せず、他のユーザーから「沖花(当該投稿は匿名でやっていた)の書き込みは削除依頼の形式に沿っているのになぜ削除しないんだ?」と指摘されても「喧嘩板なので削除しない」という返答が返ってくるのみであった。
そのJ掲示板には雑談などの板以外にも喧嘩なる板が存在し、そこだけはどういう訳かルールが一切通用しなかった。それを変な人たちは悪用して私への中傷を書き込んだというのである。
絶望。当時中学三年生の私にはなすすべもなかった。
ただ掲示板で自分への中傷が書き込まれていくのをウォッチするのみであった。
ただ終わりというは突然やってくるものであり、ある日その人が児童ポルノを掲示板にアップロードしたことが管理人にバレてしまい、その人は掲示板をようやく規制され、私への中傷もやむことになり再び活動をすることができた。
その時の安堵感は得も言われぬものであった。

トラブルの連続、そして中傷

ようやくU掲示板での堂々とした活動ができるようになった私。
安寧を取り戻すことが出来たと思ったのもつかの間。
今度は私が加害者となってしまうことになってしまったのである。
2021年8月14日のことであった。
現在は和解済みの為大まかに綴ると、とある方の日記専用スレッドに友達感覚で書き込み過ぎてしまった。というものである。
具体的にすれば、言葉のドッジボールを行ってしまった。とするところだろうか。
幸いにも相手とはすぐに和解することができ、私も反省してその方のスレッドへの書き込みを控え別の方面へと注力することにした。
また当時私はボランティア感覚でその掲示板の歴史を綴っており、そのことが管理人らから評価されwikiの原稿執筆などの依頼を受けていた。(ただ2022年に実質お蔵入りとなった。)
そういった他のユーザーよりも微妙に管理者に近かったことも災いしたのかもしれない。
それから秋に入るのだが、そこからはU掲示板の他ユーザーとの間で些細な衝突が生じていった。
日記スレッドへの苦情、スレッドの削除、軽めの口論などなど……
また同時にJ掲示板では突如U掲示板へと攻撃的なスレッドが立ち住民への誹謗中傷が増えていったのだ。
それまでJ掲示板ではU掲示板について共通の敵である荒らしの被害者であるという認識があったため攻撃対象として上げられることは少なかったが、突如ここにきて攻撃を始めたのである。
最初はユーザーのなりすましや投稿の晒し(私の小説が無断転載されるなどなど)などから始まり、やがてユーザー個人への中傷へとシフトチェンジした。
ただ槍玉に挙げていたユーザーは所謂「痛い」人であり、言い方や不名誉な言い方をすると地味であれば特に攻撃は受けなかったのである。
私もそうするつもりであったが時すでに遅し。
先ほども述べたように小説の無断転載、なりすましによる喧嘩板でのスレッド建てなど嫌がらせが始まったのである。
またU掲示板でも私は再びトラブルを起こしてしまい、これも和解済みの為詳しくは綴らないが、とあるネットフレンドと擦っていた不謹慎ネタの扱いについて軽い口論を起こしたのである。
勿論その場で謝罪し、相手からの許しや諒解も得たのだが、これをJ掲示板のユーザーに目につけられて私との不仲を煽る文言などの書き込みを大量に投下される羽目になった。
しかし攻撃は波のように落ち着いては過激化していったため、2022年の1月まではまだ耐えきれるほどの攻撃であった。

最後の媒体転換、最後の誹謗

しかし2022年2月4日、RというU掲示板のユーザーが突如J掲示板にて私への余りにも差別的な書き込みを繰り返してきたのだ。
今思い出しても吐き気が止まらないのであえて詳らかには述べないのだが、とにかく受験期でのストレスやら何やらが重なり私はその日付を持って再びネットでの隠遁を行うことになった。
ある程度は自分が起こしたトラブルが原因……だとはいえ個人間でのトラブル、しかも本人とはある程度穏和に済ませていたことをこのような形で拡散されることは余りにも不本意なことであった。
そして4月1日にTwitterアカウントを開設し掲示板とは身を切ったのだが、これまた私は余計なことをしてしまうのであった。
今でも理解不能になるのだが創作兼独り言用のTwitterアカウントを「U掲示板の宣伝とJ掲示板への挑発用」に運用を始めてしまったのだ。
当然このことは両掲示板からの顰蹙を買い5月4日から一週間程度私への誹謗が次々と書き連ねられることになった。
これについては自分の自業自得な面が強い。
そのため素直に謝罪を行いU掲示板関連のものから手を引いて別々の方面へと歩むことにした。
2024年現在では誹謗も殆ど収まり、(伏字にしているのも再び誹謗が起こることを防ぐため)、U掲示板はコミュニティが一度崩壊したため、あの時の書き込みは現存していない。
また2022年4月以降もU掲示板関連のコミュニティにいたものの2023年8月に喧嘩別れをしたため、それ以降は関わってもいない。関わりたくもない。
ただティーンエイジャーの甘酸っぱく苦い思い出の1つとして、今後の活動の教訓となるだろうと自分では思っている。
創作活動については色々とトラブルがあった後も順調に進めている。(但し事件についての記事が執筆途中であるように最近は時間が取れないのだ……)
私の過去の清算については、これで以上となる。

ただ一つだけ納得ができないことがある。
それはJ掲示板の管理人、Jeison_bizの対応である。
私は彼に対して何度か中傷や無断転載への削除依頼を行ったのだがどれも無視された上にどうにか目を引いて貰おうとDMを何度も送った所(流石に無礼だったためこのことについては申し訳ないと思っている)ブロックされてしまったのである。
自分自身の掲示板のルールがあるとはいえ誹謗中傷や著作権侵害といったことをローカルルールを盾にして見て見ぬふりをするのは管理人としてどうなのかと問いたいところだ。
ネットフレンドと雑談ができるのなら、自分みたいなことが再び起きない為にも掲示板の削除依頼を熟してほしいのである。

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