穰かな大地
2021/11/26制作
春香はある冬の学校からの帰り道に、いつもの日課として近所にある山の中に入った。
......
近くで小川が流れている音が聞こえる。
鳥の囀りが聞こえる。
そして、暖かな木漏れ日が私の躰に降り注いでくる。
一歩、一歩凸凹とした地面に対し、滑って転ばないよう、確かに足を踏み締めて私は山の中を歩いて行く。
針葉樹が見渡す限り生えている。
下を向けば、針葉樹から落ちた枯れ葉が土と同化し、切り取られ落ちている枝には苔が生えている。
倒れた木の幹にはシダ植物のようなものが生えて、太い木の根本にはサルノコシカケが瘤のように出ている。
そして、空を見上げると所々葉っぱがない部分が見受けられ、枝が青々とした初夏に比べ、より露出している。
見て解る通り、ここはあまり人の手が及んでいない、最低限の管理が行われている山の中だ。
もう季節は冬で、土には枯れた葉っぱ、松ぼっくりといったものが落ちている。
私は、ふと、近くにある松の木の幹を触ることにした。
手が悴んでしまうのでつけた、毛糸の手袋の上からでも解るぐらい、ひび深く割れた松の木の幹。
松の木の幹を抱きかかえたくなったが、太くて手と手同士が届かない。
この松の木の樹齢は一体何年ぐらいだろうか。
少なくとも数十年、いや生えてから半世紀程度は経っているだろう。
見上げると、幹から分かれていった枝に大量の葉っぱが付いている。
辺りを見回すと、所々はすでに枯れ果てた木がある冬でも、松みたいな常緑樹は蒼色の葉っぱを沢山つけている。
「この葉っぱの中に潜り込んだら暖かいだろうなぁ」
そう呟きながら上を見上げると、雄々しく屹立している松の木は冬の針のように吹いてくる凩に揺られて、葉っぱを何枚か落としていた。
その落ちてくる葉っぱを目で追いかけていると、やがて葉っぱは土の上に落ちていった。
私は座って、柔らかい土を肉眼で観察していると、どこかで聞いた話を私は思い出した。
蛍光灯の光が照らす広い教室。
時計の長針が二を指している午後。
涎を垂らしかけながら、私はつまらない授業をただただ聞いていた。
先生は色々と話しながら黒板にいろいろと書いているが、全くその内容が頭に入らない。
周りを見渡せば、私みたいな生徒が幾人もいた。
居眠りでもしたいが、もし寝てしまえば、先生から名前を呼ばれてしまい吊るしあげられてしまう。
皆の前で恥を晒したくないから、どうにかして眠い目をこすらせながら、授業を聞いていた。
暫くすると、そんな私達の様子を見かねた先生が、気分転換と称して土の話をし始めた。
「土って何だと思います?」
私達に質問を投げかけてきた。
しばらく考えてみるが、全く何なのかがわからない。
砂みたいだけど柔らかいし、なんとなくもそっとしている。
暫くして考えていると、先生が口を開いた。
「少し難しかったかも知れませんね。まあ、簡単に言えば粘土とか鉱物とか微生物の死骸などが分解されたりして、それが地表を覆っているんです。
今言ったように、土というものは微生物の死骸からできているんです。
微生物が居ないと土というものは出来ないし、微生物が居なかったら地球は砂と岩石が覆った不毛の大地なんです。
でも大昔にいろいろとあって微生物が生まれて、やがて土を作って、植物や他の動物を育んでいった......
そう考えますと土って結構凄いんですよね。
でも今の愚かな奴らはそんな土のありがたさを解らずに、砒素やら水銀やら銅やら鉛を垂れ流して、土壌汚染をして命を殺して、自らの私腹を肥やしている。
なんて嘆かわしいことなんでしょう。
恨めしいし、許せがたいことですよね。
おっと、少し話が逸れてしまいました。
余り関係ないことを喋り過ぎてしまうと授業放棄とかで怒られてしまいますからね。」
先生がそこまで話した時点で、教室内の生徒の殆どは先生の瞳に視線を集中させていた。
「話を土に戻して、土って一体どうやって作られると思いますか?
さっき言ったように、微生物の分解によって作られます。
じゃあ何を分解しているのかって言うと、樹木や、動物の屍体、糞便などです。
身近な例だと腐葉土とかが樹木からできていますね。
糞便については鶏糞や人糞が昔から畑に肥料として撒かれていました。
そして、その腐葉土が撒かれて植物が育ち、それがやがて枯れて朽ちて分解されて......」
そこから先は覚えていない。
但し、そこまでの話で私は興味津々に聞き入っていた。
きっと記憶がごっそりと抜けてしまうぐらい集中していたのだろう。
そして、私は今、この目でその分解を見ている。
試しに手袋を取って土を触る。
ポロポロと木の繊維、葉っぱだったものが落ちていく。
これがいつか植物を育てて、その植物が分解され土に還りそしてまた植物を育む栄養となる。
また、その植物は動物に食べられ、その
動物の糞が分解されて土に還るし、食物連鎖の過程に於いて死んだ動物の屍体が土に還り、又それが土を穣かにさせ、さらにそれが植物を育ませ......
そう考えると壮大なことになり脳味噌がパンクしそうになった。
これ以上深く考えるのをやめ、私は立つことにした。
そして、私の中では、ひとつ結論が生まれた。
「穣かな大地を作るのは私達であり、穣かな大地を穢すのも私達。」
今、世界では地球温暖化や、自らの更なる利益を追求するために熱帯雨林を焼き払うことが起きている。
こうしている最中でも、世界ではテニスコート数個分の面積の自然が失われている。
緑はこれからも減っていくのだろう。
だけど、緑が減ると植物が光合成をして出している酸素の量が減ってしまう。
また、草食動物の数が激減し、それに伴い肉食動物の数も激減してしまう。
そうなってしまうと、食物連鎖のバランスが崩れてしまい、下手すれば阿鼻叫喚の地獄と化してしまう。
いくら因果応報だと言われても、被害者である動物まで巻き込んでしまえば何も言えないことになってしまう。
だから、私は毎年地元で行われている植樹祭に参加したり、日常でも外来種ではないとの確認の上で種を撒いている。
他にも庭に木や花などを植えて育てたりしている。
そのお蔭かは分からないが、私がそのようなことをし始めてからすでに四年以上は経っているのだが、やり始める前と比べて近所に緑が増えた気がしたのだ。
勿論、気のせいかも知れないが、いつかこの私の活動が実を結んでほしいと願っていつつ、私は服のポケットの中から、持ってきたどんぐりを土の中に埋めた。
そして、私はすでに太陽が斜めに傾いていることに気づいた。
急いでオレンジ色の太陽が燦々と輝く山の中から道に向かって走っていき、
家に向かうために山道を駆けていくのであった。
2021/11/26、某掲示板にて投稿。
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