メロディーレーンが競走馬として生きていくということ

先日、メロディーレーンの掲示板を見に行ったら、めずらしく荒れていた。
宝塚記念出走が発端だったようである。

メロディーレーンを知ったのは、レースの動画である。えらいちっこい馬がいるなあ、と興味を持って、いろいろ見ているうちに、その動向を追いかけるようになった。記事が出ればチェックし、出走するレースもチェックする。

掲示板もチェックしているものの一つである。
私が見てきた限りでは、メロディーレーンの掲示板が荒れることなどなかった。
ファンは、この馬をとても大事にしていたし、小さいながら、オープン馬にまでなったそのがんばりをリスペクトしていた。

そんな思いの溢れた掲示板を見ていると、見ているこっちも癒されて、幸せな気持ちになった。だから、掲示板を見に行くのを楽しみにしていた。

だから、不穏な雰囲気のコメントを見たとき、落ち込んでしまった。
そして、改めて、メロディーレーンという馬が背負っているものについて考えるようになった。

私がこの馬を知ったときはすでに、アイドルホースと言われていた。
重賞レースでないにもかかわらず、この馬の出るレースは、この馬のファンで盛り上がっていた。ある種、競馬界の一端を立派に担っていると言っていいと思う。アンチが湧いたのは、その証しとも取れる。

メロディーレーンは、非常に小さい馬である。
小さいが、心肺機能が高く我慢強い(おそらく)小さいゆえエネルギ―消費量も小さい、馬場がしぶっても足を取られにくい等、小さいがゆえの利点もあり、この馬はそれを最大限利用して、勝ってきている。G1にも出走している。成績は残せていないが(掲示板内を評価の基準とするなら)そのレース内容は、そう悪いものでもない。
血統としては、オルフェーブル産駒であること、タイトルホルダーが半弟であることは有名だが、遡っていくと母方にモンジューの血も混ざっている(だいぶ薄くなるが)
なかなか夢のある馬なのである。

今はネットですぐにデータを拾うことができる。
そのデータを見てその馬を判断する。レースも結果や走破タイムを見てその馬の優劣を決める。勝つか負けるかの馬券派の人は、そうなってくると思う。
もちろん、馬そのもの、その雰囲気や見目、その姿、走っているときに発しているオーラを見ることもあると思うが、かの掲示板を見て、メロディーレーンについていろいろ言っている人は、あまりそこに重きを置いていないように思えた。勝つことに価値を、重きを置いている。もちろん、勝負事なのだから、それは大事だと思う。強い馬がG1に出て強いレースをする、しのぎをけずる、それを見るのは競馬の楽しみ方の一つである。

だが、違う楽しみ方をするファンもいる(ここに)
そりゃ、勝てばうれしいが、その内容や、レースには表れない陣営、関係者の苦労、これまでの軌跡、それらを勝手に想像しながら、その馬を応援する層も少ないながらいるのである(ここに)

競馬は勝負事である。レースに出る、出られない、も、ある種、勝負だと思う。
出られるレースには堂々と出たらよいと思う。出るからには勝てよ、というコメントを見たが、もちろん、メロディーレーン及びその周囲の人たちは、勝つつもりで臨んでいると思う。調教師のかたのインタビューに、不良馬場でないと太刀打ちできない、というのがあって、それをあげつらっているコメントもあったが、その言葉だけを見て、即、勝つ気がないと判断するというのは、短絡的であると思う。
が、おそらく、メロディーレーン及びその陣営は、すべて、わかっているのではないか、とも思う。掲示板で今さら言われなくとも、もしかしたら、もっと酷い揶揄や中傷をこれまで受けてきたことがあったかもしれない。
競馬の世界は狭い。メロディーレーン陣営は、独自でグッズ展開をしたり、コラボをしたり、ほかの馬とは違うことをやっているので、周囲にあれこれ言う人間はいたはずである。

でも、メロディーレーンとその陣営は生き残るため、いろんなことを考えているのだ。レースに勝ってこの先の道を切り開いていくのが、競走馬の在り方、王道だと思うが、ほかの馬と同じことをしていたのでは、この馬は生き残れない。メロディーレーンは良い血を受け継いでいるが、馬体が理由で繁殖はどうなのか、と疑問視する向きもある。

この馬を競走馬として育てるのか、どうするのか、おそらく、その最初の時点から、周囲の人たちの模索は始まっていたのだろう。でも、メロディーレーンが走るその姿になにかを見て、その小さな馬体に夢を託そうと決めたのではないか。

この小さな馬体をこの世界で生かせてみせる、と決めたときから、
言葉は悪いが、なりふり構ってなどいられるか、と肚を決めたに違いないと思う。
メロディーレーンが競走馬として生きていくための模索は今も続いている。
G1に出続けていることもその一つであると思う。ローテ―、距離適性等、素人の私にはわからないことも多いが、メロディーレーンが生き残るために必死にもがいているのはわかる。その走りに感動するのは、小さいから、かわいいからだけではない。その背負っているものの大きさ(斤量のことではない)が、日々、ぼーっと生きている私の胸を打つのである。

掲示板は今も荒れているようである。
見るたび悲しくなるが、考えてみたら、今、メロディーレーンは、陣営は、それどころではないだろう。
月並みだが、宝塚記念、ベストの状態で臨めるように、と願ってやまない。



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