メイケイエールの明日はどっちだ
メイケイエールが進境著しい昨今、先日のセントウルステークスではレコードをたたき出して圧勝した。
すごく嬉しかったのだが、周囲に馬の話で喜びを分かち合える人がおらず、だもんで、フルアーマーなメイケイエールになったころから、これまでの、どきどき、わくわく、はらはら、じーん、または、自分なりに感じていたことも含めて、まとまりもなにもないまま、勢いだけで書き進めていこうと思う。
それにしても、馬具をつけてからのメイケイエールは強い。
一時期、前に行きたい気持ちが強すぎて、ほかの馬の進路妨害やら、当て逃げやら(しかも勝てない)で、もう繁殖に上げろ、だの、レースに出すな、と言われていたのが、嘘のようである。
このメイケイエールの進化の一端を担っているのが、馬具のようである。
初めて、フル装備のメイケイエールを見たときは、一瞬、言葉を失ったが、このパシュファイヤーと折り返し手綱で出走したレースは、ちゃんとした競馬になっている、と評価されていた。
ただ、折り返し手綱のせいだろうか。シルクロードステークスで見たメイケイエールは、私にとっては違和感があった。ゴール板を通過したとき、うなだれていたように見えた。
シルクロードステークスでのメイケイエールは何度も動画で見た。
やっぱりどこかに制限がかかってるんだろうなあ、走りづらいのかなあ、と考えていた(あくまで私見である。だれもそんなことを言っている人はいなかったので、私が勝手にセンチメンタルになっているだけだと思う)
そもそも私がメイケイエールに注目するきっかけになったのが、走りながら頭を上げて抵抗するその姿だったので、それがないメイケイエールに、あれ?となったのだと思う。
馬具装着以前は、直線に入って追い込んでいくときの、よーっし、このまま、全部追い抜いてやる、突っ切ってやる、という勢い、ゴール板を過ぎたあとの、やってやったぞオーラ、というのか、あれが、シルクロードステークスでは半減しているように思われた。掲示板を通過したときの姿が、やっとゴールに着いたか、みたいに私には見えたのである。
もちろん、競走馬として、いわゆる「かかり」はよくないことである。本来の力が発揮できないし、メイケイエールの場合、ほかの馬を巻き込んでしまうこともあるし、最悪の場合大事故になる可能性もあるので、絶対に矯正しなければならない。折り合いはこの馬の一生のテーマ、と、騎手がインタビューで答えていたが、本当にその通りである。
こんなふうに、メイケイエールのことをいろいろ考えている私に、彼女自身が、一つの答えを体現してくれた。京王杯スプリングカップでの走りによってである。
ここで、メイケイエールは、かの矯正馬具を付けているにもかかわらず、例のかかりが出た。見ていた私は、かかった、やっぱメイケイエールや、と、ハラハラドキドキ、心配ももちろんしていたが、自分が持っているイメージと照準が合い、どこかでほっとしていた。京王杯では、ゴールに向かうメイケイエールは、前走より余裕があり、楽しく走っているように見えた。飛ぶような勢いが戻ってきたように思えた。
ほとんどのファンのかたには怒られるだろう。かかったのがそんなに嬉しいのか、そんなの本当のファンじゃない、と言われるかもしれない。
なんと言ったらいいのか。かかってほしいわけじゃないのである。ただ、勝負がかかった緊迫した場で、彼女らしく走っているのを見たいのである。もちろん、それは、ほかの馬に迷惑をかけていい、とか、騎手をへとへとにしていいとか、そういうことじゃない。
私は、あのかかっている彼女が、あの勢いをそのままに普通に走ったらどんなに凄いだろう、と、それを想像しながら彼女が出るレースを見ているのである。
だから、その片鱗を垣間見せてくれた京王杯の走りに、よっし、となったのである。メイケイエール、凄いなあ、馬具で動きを制限されてるのをものともせず、盛大に暴れてたなあ、しかも、あれだけ暴れたにも関わらず堂々の1着、と、私は、少しワクワクしながら、このレースの動画を見ていた。
ただ、これはこれで心配なことも出てきた。馬具の効果である。
実際、効かなくなってきた、と調教師のかたのインタビューでもあった。
のびのび走っている姿を見られるのは嬉しいが、また、暴走娘に逆戻りするのは、やはり良くない。
しかし、あんなに窮屈そうだった馬具が効かなくなったというのは、メイケイエールがその馬具に慣れてきたということか。拘束されていても、それなりにいなして上手いこと走れるようになったか、それとも、拘束そのものに対し力で押し返せるようになったのか。
京王杯の騎手のインタビューを見たとき、メイケイエールがどうやら力づくで、馬具の拘束をねじ伏せているようだ、と感じた。
騎手は疲れ果てていた。地獄から命からがら逃げだしてきた人のようだった。勝者のインタビューだったはずだが、とてもそうには見えなかった。途方に暮れているようにも見えた。距離延長が難しい、とインタビューで答えていた。1ハロン延びても、馬具が効いていたら抑えることも可能だろうが、もう、このメイケイエールは抑えられない。メイケイエールは拘束に対し抵抗することでパワーをつけたのだろうか。
そんなふうに、インタビューや掲示板や動画を見ながら、あれこれ勝手に妄想していた。末恐ろしいメイケイエール、でも、馬具の効果がなくなるということは、また、あの獅子舞だの、ロデオだの、と揶揄されたころに戻ってしまうのではないか。
このあと、メイケイエールは放牧に出される。心の成長を期待する向きも多かったこの放牧だが、メイケイエールは、期待と不安をその馬体に詰め込んで戻ってきた。(つづく)