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目に見えること見えないこと
昨日NHKで、「世界は錯覚で出来ている」という番組を見た(再放送かな)。エッシャーの騙し絵は有名で、多くの人は錯覚とは何かを知っていると思うけど、そもそも目に見えているものなんて曖昧という話だった。人は曖昧な視覚情報を、脳が今までの経験から補って処理しているという。
そうなると脳内でいわゆる「常識」なる情報が蓄積されていて、その人が見たものは大いにその脳内情報に左右されることになる。
そこで思い出したのが、もう10年以上前に出会った「河童が見えるひと」のことだ。その頃、好奇心旺盛だった自分は、目に見えない世界に大変興味があって、様々な人に会いに行って話を聞いていた。その人は福岡で心理カウンセラーの講師をしており、不思議な感覚をお持ちだった。一緒にとあるパワースポットを巡っていたときのこと、ある河原に出たときに突然「テラヤマさん、あそこに河童がいます。あそこです!」と指さしてくれた。
まあ、残念ながら自分には何も見えないのですけど、その人がまるきり嘘を言ってるようには思えなかった。また、当時はその人のほかにも天狗が見える人とか木と話ができる人!とか会ってたので、そういった自分とは違う感覚を持った人については丸ごと受け入れるようにしていた。
後からそのことを思い出した時に、そういえばその河童のいると言ってくれたあたりは、子供たちが古来から水遊びをしていただろうな、という河原だった。河童というのは河(かわ)の童(わらし)と書く。その人には子どもたちが川遊びをしているイメージが浮かんでいたのかもしれない。そういった脳内情報が視覚として「視えた」のかもしれないと解釈した。
その後、そういった不思議な感覚を持った人との交流を通じて、自分は視覚だけでなく五感をフルに使って情報収集するように意識してみた。いわゆるパワースポットのような場所に行ったとき、目では感知できないけれど、体感覚、匂い、など研ぎ澄ませてみるのだ。面白いことに、その土地その場所によって感じるものは変わった。暖かかったり冷たかったり、軽かったり重かったり。美術館に行ったときも、作品から感じるものは視覚からだけでないというのは良く分かるようになった。
昨夜に見たNHKの番組は久しぶりにそういった経験を思い出させてくれた。そして、もう一つ思い出したことがある。
最近自分の髪の毛はすっかり白くなってしまったので、見た目は年齢(いま54歳)より老けて見える。だから見たものを見たとおりにしか情報処理しないタイプの人は「え、60歳かと思った」という反応をする。ところがたまに「もっと若いかと思いました」というコメントをもらうことがあるのだ。お世辞ありきかもしれないけど、多分そういう反応をする人は見た目より感覚で情報処理してるのだろう。なぜなら、こちらの読者の方はご存知だろうけど、自分の中身はまだまだ子供だから。未だに好奇心旺盛で、甘いものが大好きで、努力や苦しいことはキライという子供の頃のまま、ただ年齢だけ重ねてしまったのですな。感覚重視のタイプは、その子供っぽさを感じ取っているのだと思われる。
だから実年齢を伝えるときの相手の反応はちょっと面白い。だいたい見た目で判断するのは男の人が多いのだけれどね。