【Day.9ぱちぱち】鉄道員だって人間だもの【文披31題】
とあるどこかのベッドタウン。その一地区を作る峰屋駅。出勤して始業の点呼まであと一時間弱。制服に着替えて、とりあえず、更衣室を出て一旦事務室に上が……コツン。何この音。あちこち見回すと、金色のボタンが落ちているのが見えた。上着のボタンだった。うっそー。日中はいいけど、さすがに朝晩は上着がないとちょっと寒いよー。泊まりを乗り切れないよー。どうしようかなぁ。まぁ、日中は脱いでおけばいいか。ボタンをポケットに入れ、上着を手に持って事務室に入った。
「おはようございます……」出勤簿に印鑑を押す。
「どうしたの伊藤ちゃん?」
「石津さぁん、聞いてくださいよ、着た瞬間に上着のボタンが取れたんですよ、どうしましょう~」
「え、裁縫道具あるわよ、そこの扉の横の棚。」
「え? あっ、本当だ! ありがとうございます!」
針の類の共有は、血液感染などの観点から良くないことは重々承知の上、絶対に自分に刺さないようにするとの決意の下、ボタン付けを開始した。高校の制服で散々つけた足つきボタン。数分で作業を終えて、針をしまおうとした。
「伊藤ちゃーん」
「わっ!」
目の前に、しげしげ先輩こと繁田先輩が上着を持って立っていた。
「……じゃ、あと使ったらしまっといてくださいねー」
「そこをなんとかこれのボタンつけてくれないかなぁ~」
仕方なく受け取り、ボタンを付ける。
「高くつきますよー?」
「さっすが伊藤ちゃん、恩に着るぅ~」
「予備の上着おいてないんですか? 私が言うのもなんですけど。」
ロッカー狭いもん。
「あると思う? ないよ! 革靴も傷ついたらマッキーで塗ってるし。」
色々聞きたくなかった。
ぱちん、と糸を切って、しげしげ先輩に返す。
「はい、どうぞ。」
「ありがとーーーー!」
「じゃあ次僕も……」
「七緒!?」
「ベストのボタン、予備も全部とれちゃった」
「それは太ったんじゃ!?」
「サイズ変える!?」
事務室一同が口々に言う。
「その次、俺のスーツのボタンもいける?」
知らんがな。
事務室の扉に設置された暗証番号を入力する機械の音がする。すぐに扉が開いた。
「おはようございまーす、なんか今日来るとボタンつけてもらえるって聞いたんですけど……」
「外山さん!? なんで峰屋に?」
「え、今日は俺こっちで日勤……、今度出店する地域の祭りの打ち合わせがあるから……」
「失礼しました! てか誰ですか! ボタンつけてもらえるって言いふらしたのは!」
こうなったらとことんやってやる!
運転取扱の部屋へ入る。共用のコート類のボタンをチェックする。まぁ結構取れている。おそらく最初の縫製がちゃんとしていないんだろう。始業まであと15分。やりきってやる。
「終わったぁぁぁ!」
ぱちぱちぱち。
「よくやりきった!」
「ありがとう!」
「僕の伊藤ちゃんのことだからやってくれると思ってたよ」
「先輩、それ多分アウトです。」
事務室の一同から大きな拍手をもらった。出番者と非番者が揃っているから、なかなかの大きな拍手だった。ちょっと照れ臭くなる。
「もう点呼始まるから、コート戻しとくね。」
「あっすみません!」
私も裁縫道具を元に戻す。
「じゃあ、9時になりましたので、点呼を始めます。一同礼!」
やりきった充実感に浸るのもつかの間、これから泊まり勤務という現実が待っていた。
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