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【お通夜旅】三江線 三次ー江津編


訪問データ

行った日:2018年2月24日
当該路線廃止日:2018年4月1日

待たれた復旧

 芳しくない輸送状況から、国鉄民営化時にも存廃が議論されていた。いつ廃線になるのか。一部のファンの間ではそういう扱いをされていた三江線。私はにわかなので、失礼ながら廃線が確定するまでその存在を知らなかった。その一方で、三江線を訪れた先達の皆さんは口を揃えて「良かった」と言う。
 主な所在地は島根。大阪から近い訳ではないが、行くと決めたら行く。
 いつ行こうか。長期休暇はものすごい混雑と聞いていた。そうかと思えば大雨やらでしょっちゅう運休。いつ行くのが正解かが全く分からない。もはや乗ることができるかの運試し。

 ふとスケジュールを見ると、一般参加する予定の、東京で開催される同人誌即売会があった。悪い考えが頭をよぎる。島根と東京は一本の列車で結ばれているではないか。まとめて行こう。
 なお、この計画を立てた1月も、大雪による倒木で当面の間運休だった。代行バスも貴重な経験だからそれでいいと思っていた。何があっても行くという決意もと、サンライズは、全区間乗車ということでシングルデラックスをおさえた。
 

2月20日以降に全線運転再開?
もしかして。

続く2月23日のプレスリリースで、2月24日に運転再開することが発表された。そんなラッキーがあって良いのか。日頃の行いに感謝である。

いざ乗車

 家からでは間に合わないので、大阪中心部に比較的近い妹の下宿先に泊まり、新大阪6時ちょうどのみずほ601号でまずは広島へと向かう。よく寝たので全く記憶にないが、鹿児島中央まで行かなくて本当に良かった。
 この頃は駅工事真っ只中の広島駅。そんな中でも随所にカープを感じる。三江線の始発駅である三次行きの芸備線に乗り換える。やはりよく寝たので全く記憶はないが、この先三江線に乗るであろう人達で車内はいっぱいだった。
 三次駅で、そんな方々と一斉に乗り換える。運行再開初日であったため、JRの腕章をつけた方や、報道も多かった。ニュースで私が写っていたかは確認できていない。

キハ120系(さんこうせんのすがた)※すれ違ったツアー列車


 三江線カラーのキハ120系の車内は、おおよそ1グループに対して1ボックス席くらいの着席率。あとは先頭かぶりつきの大きなお友達複数。私は相席になってしまったが、ほどほどで過ごしやすい乗車率であった。運行再開決定のお知らせが前日15時だから、まぁ妥当な乗車率かと思う。

9時57分、三次駅発車。個人的に関西線で良くお世話になっているキハ120系は、所変われども軽快な走りを魅せてくれる。江の川沿いの車窓は、関西線の笠置付近を想起させるものの、スケールが全く異なる。川幅も圧倒的に広い上に、どこまでも続いていて先が見えない。その割に、線路は川のカーブに沿って狭隘で、迂闊に顔を出せば木々にぶつかりそうであった。なるほど速度は出せない、倒木もしょっちゅう、復旧も容易でない訳だ。よくぞここに線路を敷いた。並行する道路を走る車は、列車をびゅんびゅん抜いていく。撮り鉄の皆様もそうしておっかけて撮影しているのだろう。
 そうしているうちに、宇都井駅に到着。地上20mの高架。天空の駅と呼ばれているだけある絶景であった。地上では地元の方によるお見送りがあった。中には大漁旗のような旗も。

大雪で止まっていたんだ、残雪もあるわ


 ちなみに、この列車は三次から三分の二ほど進んだ地点にある石見川本止まりである。ところが1時間半後に、同じ列車が終点の江津まで向かうのだ。その1時間半がお昼時にあたるため、石見川本で昼食をとることができる人気の乗り継ぎであった。天気にも恵まれ定刻で石見川本に到着。私も昼食へと向かった。
 数あるお店の中から選んだのは福村食堂さん。「マジオム」なるメニューが有名とのことで選んでみた。見た目は普通のオムライスなのだが、中にはウインナーや唐揚げなどが入っている、それはそれはマジカルなオムライスなのだ。「お母ちゃんの味」という言葉がふさわしい、旅先でもほっとするお味であった。

そういえば青のりは新鮮

 駅前の三江線特設の建物で写真を眺める。この辺りでは荏胡麻が名産とのことで、荏胡麻茶のふるまいがあった。駅に入り、ツアーの団体列車とすれ違い、間もなく江津に向けて発車の頃、町の代表の方が車内でご挨拶をしてくださった。沿線の景色もさることながら、何らかの形でまた来たい、そう思えるような場所だった。
 昼食の後は、ぽかぽか陽射しもあり、ついついうとうとしてしまう。石見川本以降は、前半戦と比較して極端なカーブもなく、いっそう軽快な走行だった。気づくと江の川の河口にかかる大きな橋が見え、終点の江津目前であった。
 トータル5時間を超える旅であったが、そんなに長かったけ? と思うあっという間の充実した時間だった。そしてこれまでの旅に比べると驚くほど何もなかった(笑)


今思えば

その1

石見川本ですれ違ったツアーの列車はきっとこれ。

その2(あくまで個人の考えです)
 災害で運休→復旧断念→そのまま廃線の流れは少なくない。
 三江線も最後の冬、大雪による倒木のため、しばらくの間運休が続いた。元々利用者が少ない、その上代行輸送も頻繁に行ってきた、どうせ1か月ほどで廃線にするのであれば、復旧させなくても良かったのではという意見もあった。
 復旧しないとなれば、その費用はかからないものの、収入を得ることもなくなる。しかし、復旧したのはそれだけじゃない気がするのだ。
 廃止まで運休となれば、その間三江線に関わる仕事(主に運転士か)は?労働者を余らせるのはあまりよいことでないのでは。その辺の色んな折り合いを踏まえての復旧かな、と。知らんけど。

 初めてのA寝台の話はまたいつか。

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