【Day.14さやかな】鉄道員だって人間だもの【文披31題】
とあるどこかのベッドタウン。その一地区を作る峰屋駅。改札を通る人の防寒具が増えてきた今日この頃。それでも日中は暖かいので、外したそれらの忘れ物が増えてきている。
休憩室から新聞を持って当直の吉良係長が窓口の方に飛び出してきた。
「伊藤、七緒! 今日は月食らしい!」
「いや、俺もいるのになんで俺の名前は出さないんですか」
こう反論するのはしげしげ先輩。だって
「お前は月食とか興味ないだろう」
先に言われてる。私もそう思うし、現に横で七緒がうなずいている。我ながら失礼な後輩だとは思う。
「ちょうどいい機会だと思うので、窓口に二人いる時間帯は伊藤も入れて、日勤の七緒と三人でコンコースの窓をきれいにしよう! ちょうどこの時期、月はこっちの方だったよな! ということで繁田は窓口よろしく! 何かあったら放送でも使って呼んでくれよな」
「はいはーい」
三人で倉庫に道具を取りに行く。蜘蛛の巣をとるスプレー、とりあえず長い棒、ガラスクリーナー、窓用のモップみたいなやつ、脚立……。廃棄コーナーにあった古新聞。
床や手の届くところは、グループ会社の清掃業者が掃除してくれるのだが、窓の隅についた蜘蛛の巣などは対象外らしい。虫の死骸が大量に湧いていることが想定されたので、先に係長と七緒にその辺を片付けてもらっている。終わった所から掃除していく。内側からしか掃除できないとはいえ、なかなか汚れが溜まっているようで、古新聞がすごい勢いで減っていく。
虫関係にカタがついたそうなので、二人もこの作業に合流していく。高いところは一番背の高い吉良係長担当。脚立を七緒が支える。
「月食って何時からでしたっけ」
「大体18時半くらいからって書いてたかな、どうする七緒、見てから帰るか? さっさと帰って寮から見るか?」
「あー、せっかくなんで、こっちで見てから、ついでにラッシュ避けて帰ります。」
「了解。」
「はー、終わりましたね、腕パンパンです。」
「ずっと上を見上げてたから首が痛いかも」
「これから月食眺めようってところで首が痛くてどうするんだ七緒。」
「えへへ」
ごみを捨て、倉庫に道具を戻す。そこからはいつも通りの業務に戻る。券売機や精算機の締め切り作業。あとは窓口業務。淡々と進んでいく。
改札を通る人が増えていくにつれて、月食の時間が近づいていることを感じる。七緒は定時になったので制服から着替えに向かった。吉良係長は事務室内かと思ったら、コンコースで立哨している。朝はともかく、夕方でコンコースに立つことはまずないうずうずしすぎではないか。
私は、窓口にいい間隔でお客様がいらっしゃるので、一件一件対応していく。定期の区間変更をしたいお客様、払い戻しをしたいお客様、大人数での旅行の指定席を取るお客様、団体の申し込みをしに来た常連の顧問の先生……。内容はそこまで難しくないので助かっている。さぁ時刻は18時40分。事務室から窓を見た。
反射。
いったいいつから月が見えると勘違いしていたんだろう。私たちの頑張りは……。朝日や夕焼けとはわけが違った。
「いやー、よかったなー」
「じゃあそろそろ帰りますねー」
「お疲れさん、俺も仕事戻るわー」
吉良係長、七緒、休憩上がりのしげしげ先輩が事務室に帰ってきた。
「抜け駆けずるい! あ、コンコースに落し物があるんで拾ってきます! しげしげ先輩、早く窓口はいってください!」
落し物なんてない。ただせっかく自分たちがきれいにした窓から月食を見たかった。頑張って手で視界の周りを覆って視界を暗くする。ああ、息で窓が曇る。仕方ない、そろそろ休憩だし、外で見るか。
「落し物は見間違いでした、ははは。休憩行ってきますね~」
社員用の通用口から外に出て、空を眺める。わぁ。本当に月が欠けていた。小学校の頃、理科で電球とボールと動かして仕組みを勉強したけど、細かい理屈なんてどうでもよくなるような神秘さが、ぼやぁっとしているものの明るく光っていた。
すると通用口の扉が開いた。吉良係長だった。
「すまんな、一生懸命掃除してくれたのに結局中から見えなかった上に、抜け駆けしてしまって……。寒くないか? コート着るか?」
「ありがとうございます。」
コートを受け取って羽織る。
「いや、それでも窓をきれいにできてよかったですよ、虫とかも一掃できましたし。」
「本当か? 繁田に窓口全部任せられたからよかったんじゃないのか
?」
「まぁそれもありますね、でもさっきは私が忙しかったんで……」
「そうか、じゃあ、時間気を付けてあがってきてな。」
「はい!」
翌朝。朝の休憩から事務室に上がると、今日の出番の七緒が取り囲まれていた。
「おはよう七緒、どうしたん?」
「実家の三番目の兄が送ってきた写真」
それはもう大層立派な月食の写真だった。そりゃあ島は空気もきれいだろうなぁ。
でも、仕事の合間に見た月食は、何よりもかけがえのないもので、心のフィルムにしっかり焼き付けられていた。
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