星の散歩

夢三夜・第一夜


 こんな夢を見た。
 草原に立っていた。くるぶしを隠す程の高さの草が一面に広がっている。草原の終わりは見えない。始まりも見えない。どこまでこの草原は広がっているのだろうか。時々柔らかい風が吹いてきて、草が喜ぶ音が聞こえてくる。その風と共に、水滴が光りながら踊っていた。きっと雨上がりなのであろう。大地の青い匂いもする。
 しゃがんで、草に置かれた光る水滴をよく見てみる。そこには、私の顔と星空が閉じ込められていた。自分が何だか異国の王冠を被っているように見える。少し恥ずかしい。息を止めてそっと水滴に触れる。すると草の向こうへ逃げるように消えてしまった。水滴の跡をもう一度見る。そこには光る粉が少々落ちていた。星の跡なのだろう。
 立ち上がって顔を上げる。頭上には砂浜のような空が広がっていた。目を細めると、星にも色が付いていることに気づいた。桃に橙、赤と青。ビー玉に澄んでいる星は、一つとして同じ色は無かった。こちらは星座の知識なぞは持っていないので、どれがどの星座なのかはさっぱりである。知っていたならば、もっとこの星空を楽しめたのかもしれない。残念ながら、ギリシャの神々は隠れてしまっていた。いや、たとえ知っていたとしても、この星の数ではきっと知識の卒中で混乱しただろう。第一星座なんか知らなくても生きていけるのだ。知らなくても支障は無いのだ。そんな強がりを嘲笑うかのように、流れ星が一つゆっくりと横切った。
 ふと、ここは古墳時代だか飛鳥時代だなと思った。気が遠くなる程の昔にいるのだ。ただ、これといった確証は無い。夢特有の場面把握、である。そう考えてみれば、大地の尊さから、風の心地よさから、星空の怖さから、ここは現代ではない気がしてきた。
 しばらくの間そこに留まって星空を眺めていた。現代の速さに疲れて、少しの休憩をとりたかったのだ。何も考えずに星空を見ていると、何かが前を通り過ぎた。よく見ると、男である。目の前に来るまで全く気づかなかった。その男の服装は変わっている。まるでいつか見た絵に描かれいた神武天皇のようだ。ダボダボの白い服とズボンに縄のベルトを巻き、勾玉と管玉のネックレスを付けている。そして髪型は、頭の横で縦に蝶々結びをしたものであった。みずら、と言ったはずだ。金の冠を付け、腰には金の太刀を下げていた。位は高いと見える。髭を生やした威厳のある顔は、高貴な人のそれであった。大王、という文字が浮かんだ。「だいおう」ではない。「おおきみ」の方だ。大王は、一歩一歩地面を踏み締めて、ゆっくりと大股で歩いている。
「あなたは大王ですか?」
返ってきたのは、無言であった。随分無愛想な大王だ。ただよく考えてみると、いきなり知らない人に「あなたは学生ですか?」と言われたら自分も無視するであろう。見たら分かる。失礼なことをしてしまった。ただ、いちいちすみませんと伝えることもないだろう。
 大王はどこに行くのであろうか。このままだと何もすることがないので、興味本位でついていくことにした。
 大王はずっとムスッと黙って歩いていた。金の太刀の揺れる音が響く。その後ろをゆっくりと歩いていく。
「それほど求めるものは何ですか?」
沈黙に耐えかねて、たまらず質問が口を出た。この声は、果たして彼の耳に届いているのだろうか。彼は先程と何も変わることなく歩き続けている。
 どれくらい歩いて、どれくらい風の音を聞いたのだろうか。大王が止まった。相変わらず何も無い草原だ。先程と何も変わらない景色。本当に何が目的なのか。
 突然、大王は金色の太刀を鞘から抜いた。鉄の擦れる音。刀身が銀色に鈍く光る。大王はそれを星空にかざした。そして次の瞬間、大王はそれを勢いよく地面に突き刺した。地面は柔らかく、サクッと音が響く。驚いて声が出ない。大王もやはり無言で行っている。大王は柄から手を離す。そして立ち上がり、二礼二拍手一礼をした。私も同じ動きをしてみる。
 するといきなり、大地を揺るがす音がした。目の前が真っ白になる。今私は目をつぶっているのか。目を開けているのか。分からない。耳が変な音をずっと捉え続けている。平衡感覚がおかしくなる。少し、熱い。
 目を覚ます。草の上で倒れていた。空は夕焼けで明るく、烏が鳴いている。立ち上がって周りを見渡す。一面草が黒焦げていた。大王もいない。そして驚くべきことに、目の前にロケットが現れている。そこは丁度太刀が刺さっていたところである。きっと太刀がロケットに変化したのだろう。私はそれに何も疑問を呈すことはなかった。これもまた古墳時代特有の現象なのであろう。見ると、ロケットには扉が取り付けてあった。入れと誘っているようであった。扉を開けて、ロケットの中へと足を踏み入れる。
 中に入ったとき、変な感覚に襲われた。すぐにその原因が分かった。部屋が奥に広いのである。中は柱や階段もなく、ただ一面に地面と計器だけであった。そう、縦に登っていくのではなく、奥にひたすらに広い。つまり、ロケットが横たわっているとしか考えられないのである。しかし、外から見たときは縦に置かれていた。意味が分からない。壁にある窓で外を見てみる。そこには、宇宙が広がっていた。驚いて、走って扉まで戻る。戸を開ける。そこは草原である。ここはどうも外と違う空間と繋がっているらしい。なるほど、そう分かったら簡単なものだ。ロケットの中を探索することにした。
 大きな計器を右に曲がると、大王が窓の外を見ていた。しかしよく見ると、彼は金色の太刀ではなく銀色の太刀を腰に下げていた。
「星空ってのは夜空の信号機なのかい?」
彼はそう呟いた。
「君は朕を無視するのかね」
返事に困っていると、さらに彼はそう言ってきた。
「星空は、金色ですね」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
「金色と朕の前で言うでない」
大王は、不機嫌そうな顔をした。
 いきなり、銀の大王は二回手を叩いた。
「よしよし、彫刻家よ来い」
へいへいへい、と法被を着てハチマキを付けた男がどこからは膝をついて現れる。銀の大王は、ひそひそと彼に何かを囁いた。よっしゃ、と彫刻家の男はロケットの奥の方へ消えていった。
「何を言ったのですか?」
「もちろん朕の名である」
銀の大王はつまらなさそうに答えて、また窓の外を眺め始めた。しばらくして、彫刻家は教卓のような大きくて平たい大理石を押して持ってきた。銀の大王の横で止まると、ノミと槌を法被から取り出す。そして、一心不乱に大理石を彫り始めた。コンコン、とロケットにその音が反響する。その一定の音が心地よい。最初はその姿を面白く見ていた。しかし、時間が経つにつれ段々と退屈になっていった。あんまり長くかかるので、私は少し眠ることにした。
 銀の大王の声が聞こえる。
「これを石碑にするのだ」
「へい」
「世界が滅びても石碑は残るであろう」
「へい」
「よろしいか」
「へい」
気づいたら、私は彫刻家になっていた。身を乗り出して、硬い大理石をカンカンと一生懸命に彫っている。銀の大王に彫るべき名は体が知っている。ただ流れに身を任せて彫り続けた。ただ彫る。払い。止め。はね。永遠に近い時間が経っただろうか、カツン、と音を残して私は立ち上がった。
「これでどうでござんしょ」
銀の大王はそれを見て
「よきかなよきかな、よきかな」
と答えた。そう一言告げると、銀の大王はロケットの奥へと消えていった。かつて私だった人は、まだ寝ている。果たしてこれは誰の夢なのか。自分の夢か、彫刻家の夢か、大王の夢か、夢の夢か。分からないので、再度一眠りつくことにした。
 石には「本多忠勝」と彫られている。

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