開かずの扉
夢三夜・第二夜
こんな夢を見た。
赤い門の前に立っていた。周囲は真っ白である。門だけがそこにあった。
寺の門なのであろう、随分古めかしい造りであった。いつか旅先で見た門だ、と思った。といっても、どこの寺なのかは思い出せなかった。それが東大寺や知恩院のような荘厳で静けさを発する門でないことは確かだ。
門は二階三階とある大きいものではなく、小ぶりなものである。門としての最低限の機能を備え華美な装飾建築を取っ払った、実用的なものであった。それを鑑みるに、これは正門ではなく通用門的な位置づけであろう。
瓦には薄雪が積もるように苔が覆っている。歴史の重みに耐えかねたのか、所々瓦が割れ、滑り、欠けている。何かの家紋だか文様が丸瓦に彫られているのだが、幾分その古さ故に掠れて読み取れなかった。
柱は度重なる風雪で大層傷んでいる様子であった。触れば、そのささくれで指に傷ができそうである。しかし、その門の色は朽ちることなく鮮やかに主張している。不用意に触った幾人もの血で染まったものであろうか。その不自然なまでの赤は、そういったべらぼうな考えを誘発させた。
戸はピチリと一厘の隙間もなく閉じられている。押せども引けどもその重い扉は開くことがなさそうである。開ける時は一つの扉に二三人が必要であろう。この赤門は、これまでかというほど完璧に門としての役割を全うしていた。
そして、特筆すべきはその絵画装飾である。両戸に渡って厳しい武者の絵が描かれていたのだ。その武者は東洲斎写楽の浮世絵、大首絵を左右反転させたように描かれていた。大鎧を纏っているが、兜は付けずにちょんまげ姿である。睨みながら目だけをこっちに向けた顔には、歌舞伎役者の赤い隈取が強調されていた。さながらねぷたの猛将のようである。誰を描いているのであろうか。やはり義経だろうか。義経であれば、大鎧や赤い隈取にも合点がいく。恨めしい顔をしていることは疑問であったが、大方奥州での姿を描いているのであろう。
義経の姿に見とれていると、どこからか男が歩いてきた。私から見て右から左へと、ゆっくり歩いて近づいてくる。背筋をピンと伸ばし、ペタ、ペタ、と草鞋が鳴っている。彼は羽織袴を着ていた。全身が真っ赤な、派手でな布である。顔は、分からなかった。見ようと思っても分からない。目を見開いて顔を注視しようとするのだが、できない。彼は何か魔術を使っているのかもしれない。無言で前を見ながら歩いているその姿は、いかにも妖術使いらしい。その雰囲気に押されて、口をつぐむ。ゆっくり小股でそろりそろり歩いてくる姿を、私はただ見守るしかなかった。
彼は門の前まで来た。すると、門の右扉の前で止まった。ロボットが電源を切られたときのように、ピタッと静かに。生きている気配が無くなった、とでも言うのだろうか。彼は糸が切れた操り人形のようになっている。私はその姿を、何かするまでもなくただ立ってぼんやりと見ていた。ただただ見ていた。彼に魅入られたかのように、目が離れなかった。しまいには、自分が今見ているものが写真なのか夢なのか、それとも現実なのかが分からなくなってきた。目が疲れて狼狽した。彼は真っ直ぐ前を向いていて、こっちからは左半身しか見えない。顔なんてひとつも分からない。しかし、それでも彼がとても尊い人のように思われた。理由は分からない。ただ、彼の醸し出す雰囲気にはそんな気配があったのだ。
突然、彼が動き出した。動画の再生ボタンを押したかのように、何事も無かったのかのように動き始めたのだ。歩き出すことはなかった。立ち位置を変えたのだ。彼は今、こっちを向いている。顔をまじまじと見る。全く分からない。老人か若者か、日本人かイタリア人か。どれも可能性としては、ある。決して彼の顔が見えないのではない。彼の顔が分からないのだ。見えてはいるのだが、それが像として結びつかない。頭で理解することができないのだ。彼は多分、今私の目を見ているのであろう。彼は私の顔見ることができるのに、私は彼の顔を認知することができない。不公平だ。この心も彼に見抜かれていそうな気がして、胃がギュッとなる。
彼は再び動き出した。右足を軸にして、左足と両腕をピンと伸ばしながら、ゆっくりと百八十度回転したのだ。本来、それは一瞬のうちに行われるのであろう。ただ、今の自分にはそれが永遠に思われた。絹がすれる。髪がなびく。草鞋が軋む。袖が揺れる。正面を向いていた胴体が、段々と門の方を向く。左腕が地面と平行線を描いて、私の前の空を切っていく。左足もその下を一緒に滑っていく。背中が見えてくる。ドンッ、と左足が地面につく。今、彼は門の前で私に背中を見せて大の字で立っていた。真っ赤な背中の羽織袴が私を威嚇する。
「いよぉおぉ!」
突然誰かの高い声が響き渡り、軽やかな小鼓が二回鳴る。すると同時に、彼が消えた。いや、消えてはいない。彼の背中の羽織袴の模様がいきなり変化したのだ。赤い無地から、門と同じ武者絵になったのである。しかも同じ原寸大の、丁度彼が門の前に立って見えなくなっている部分と全く同じ模様である。つまり、真正面の私から見ると、門の絵の一部分が前に出ているような感じであった。まるで光学迷彩。ズレが全く無く、完全に彼は門の模様の一部となっている。
そのとき、ごぉぉ、と大地が動くような音がした。門が開いたのだ。右の戸が、人が一人ギリギリ入れるくらい奥へと動いた。彼は素早く走って門に入る。私はそれを見てるだけで、何も動けなかった。入るべきなのだろうか。入ってはいけないのだろうか。門の内側は暗くて何も見えない。入るべきなのだろうか。入ってはいけないのだろうか。
もう一度考える。私は入るべきなのだろうか。入ってはいけないのだろうか。