本の感想/夫に手紙を書いてみた。
やっと、こういう本を真正面から読めるようになってきたのは、私が私の物語を紡ぐことしかできなかった時代から、私の中の何かが変わり、この頃は他人の物語を受け入れられるようになってきたからかもしれない。(この本の中の若松英輔さんの言葉を借りていえば。)
いい本だった。今の私には、この本の中の全ての著者のお話に学びがあった。この本のお陰なのか、毎年この時期になるとメンタルを崩しがちなのだが、不思議と落ち着いている気がする。またすぐに崩れるかもしれないけど。
普段、私が感じている社会に対するモヤモヤについてなど、とても分かりやすい形で語られていたりした。故にスッキリした気持ちにもなったし、そう感じている人が割といるのかもしれないと少し安心したような気持ちにもなった。
特に印象に残っているのは、(皆印象に残っているれども)、若松英輔さんの章で、ディケンズの「クリスマス・キャロル」のお話から引用しながら、生きることについて語る場面が心に響いた。
「仕事」というのは生きていくための仕事と、人間としての仕事の二つがあり、人間としての仕事をしなさい、そうしないと後悔するよと、とあるケチで冷酷な老人が、クリスマスの日に降りてきた精霊(かつての老人の相棒)から告げられるシーンが出てくる。
お金のために社会の歯車となり働いて生活をして亡くなっていくだけではなくて、長かったり短かったりする人生の中で、生まれたからには恐らく皆、何かしらの「人間としての仕事」をして、命を終えていく。(クリスマス・キャロルの原文を読めてないからまだ理解が及ばない部分があるかも)
本人が無意識でそう生きるか、自覚してそう生きるのかは分からないけど、私もそう思う。
どんなに若くして、たとえば生まれてすぐに亡くなってしまう赤ちゃんにも、人間としての仕事があり、それを果たして亡くなるのだと思う。生まれてくることには、何かしらの意味があるような気がしている。
私はまだ時間があるのなら、どちらの仕事もしていきたいなと思った。というよりしていかねばならない。片方ではきっとだめなんだ。恐らく両方が必要。
それと、クリスマスはどんな人にも祝福が訪れる日らしい。どんなに悪い事をした人にも平等に。そういう日が来月やってくるんですね。温かい一日になりますように。
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ずっとnoteで気持ちは吐き出してきたけれど、毎日を生きるのに必死だったので、その問題に向き合ってみようとすると、怖くなって逃げたり、辛くて泣いてばかりだった。それでも少しずつ、たぶん時間とか、色々な人の励ましとか、自身のレジリエンスとか、夫が遺してくれたもので、何とか今をつないでいる。つなげられてるからこれが書けてる。そのことに感謝したい。私を救ってくれた人たち、時間、自分の中の何かに。
最近、たまたまきっかけがあり、故人に手紙を書くという公募に応募してみた。私がこの日記をかいている理由は自分でもよく分からないんだけど、たぶん、だれかに何かを伝えたいのもあるかもしれないけど、私の中から溢れだしてきて止まらないものを言葉にしてみたかったんだと思う。そして、自分が一番それに対して納得してみたかった。これが私の感じていたことだと、考えていた事だったと、それを表現できるかもしれないと思って、とりあえず日々言葉にしてみたけれど、それから2年。もうすぐ3年。2年以上も経ったのにまだ足りなくて、まだその感情にぴったりな言葉が見つからない。その感情はたくさんの種類が複雑に絡み合ってあるからかもしれない。
永遠に見つかるような気もしなくて。見つかってしまったら、それは、なくなってしまうのだろうか。
言葉にならないとはこういう事なんだろうな。
いざ手紙を書いてみると、文字数の制限があって足りないのもあるかもしれないけど、何だか言葉にしたら、全部うそみたいになった。私が伝えたいことはこんな作られたような言葉じゃなくて。ぜんぜんまとまらない何かなのに。
手紙は難しいな。たぶん、私が死ぬまで生きていくこと、それが手紙になるのかもしれない。