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東京マラソン

これまでの人生で多くの方から影響を受けて、今の自分の生き方や考え方が形成さてれますが、先日亡くなられた石原慎太郎さんもその一人。主に書籍経由ではありますが政治観に加え、哲学・宗教観でかなり影響を受けました。その石原慎太郎さんが残してくれた東京マラソンに明日初出走!

昨年10月に発生した股関節周辺の故障による痛みで、一時期は歩くことも出来なかった状態から2ヶ月のランオフ生活を強いられた後、12月からリハビリ開始。その時点で痛みはあったけど、整体治療やセルフケアで身体のメンテナンスを欠かさず継続しつつ、痛みを我慢できる範疇の距離とスピードのバリエーション織り交ぜたジョグ中心の練習を重ね、ようやく1月下旬にほぼ痛みが気にならなくなる状態まで回復。その時点でフルマラソン目指す上で十分な走り込みが出来ておらず、また長期ランオフの影響で、走り方を忘れてしまったような感覚に陥り、ジョグの動きがぎこちなくて、そして何より心肺機能やエアロビックレベルの低下が酷かったため、東京マラソンに向けてどうアプローチするか悩んだけど、結局ベースアップトレーニング無し、つまり走り込み期間を取らずに直接レース直前6週間の調整プログラムに入ることを決断。当然ポイント練習のターゲットタイムは妥協して大幅に下げたけど、なんとかここまで無難にこなして明日を迎える。ガーミン先生によると怪我前65あったVO2Maxは61くらいにしか戻ってないけどね。。。

これまで、マラソンでは頭から突っ込んで入るスタイルを信条としてきたけど、突っ込んだところでトップスピードが遅すぎで、狙いであるアドレナリンが出まくる状況に至らないことと、なんと言っても距離への不安、もしかしたら痛みが再発するかもとの恐怖感があるので、明日はゆっくり入り、練習のようにビルドアップ気味にネガティブ・スプリットを目指そうと思う。スタート待機で寒い中相当待つことになりそうで、前半体動かないだろうし。あとスマホ持って走らなきゃならないと言う、ストレスフルで不安な面もあるし。
それでもちょっと前まで、自身の老体化による肉体的痛みと、コロナ禍による閉塞的な社会情勢からくる精神的苦痛の2つの要因で、走ること、東京マラソン出ることなんて無理だと諦めていたこと考えれば、どんなに遅かろうが、惨めな結果で終えようが、レースにチャレンジできるだけで幸せ。マラソン練習をやっていてよかったと思うのは、普通に生活をしていると毎日がただ慌ただしく流れてしまうだけだけど、バリエーションのある練習をこなすことで、その何てことのない一日を全部濃密で意味のあるものに変換できる。嫌な練習の日、楽に済ませる日、休むことすらもイベント化され、日々の特殊性を意識できるコンテンツと化す。この非日常性、挑戦性、没入性が僕の人生を豊潤にしてくれているし、仕事の面でも奏功し生産性や創造性を高めてくれているように感じる。

ただ大事なこと大切なことは、レース結果だけではなく、ここまでかけてきた全ての距離と時間。あと残り42キロ。厳密に言えば明日当日のアップがあるから、あと50キロくらい走れば、ここ数ヶ月のしっかり努力してきたプロセスのフィナーレと考えたい。そして、やる以上は今出せる最大のパフォーマンス発揮を狙うけど、この最低限の向上心持ちつつも、大都会、首都東京のど真ん中を走る機会をとにかく楽しみたいと思うし、終わったらしばらくマラソン練習から離れて、街中や里山走るファンランでまったりする生活が待っていることも楽しみにしたいと思う。

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