とか言ってる場合じゃない
「自己紹介文。大SNS時代、速やかに理解できるものが好まれる傾向にあるらしいが、何かを伝える時の言葉選びが苦手でつい文章が長くなりすぎる癖がある。そして、現代では長い文章は基本的に嫌われそうってのはわかってる。SNS時代を席巻する冷笑文化の賜物、熱っぽいものは小バカにされる。小学生の時に本気で頑張る人をバカにしてはいけませんと教えられただろ。とか思うけど自分の癖は理解しているし、現代の文化(というか流行?)も人並みに感じているつもりなので、何かSNSに登録して、自己紹介文を書くときは長いこと考えてしまいがち、自分と近い人からはもちろん、自身の意識外の人からも悪い評価を得たくない。ただそうしたところで何も浮かんでこないので、短く、熱っぽくないものを選んで書く。熱はないけどセンスがあるっぽく思われたい。センスコメントを残して、あわよくば『面白い』とか、『おしゃれ』とか、あるいはそのまんま『センスある』など"優れてるっぽい称号"を欲しがる。
熱がなくて、センスがある。それは坂田銀時にしかできなさそうだけど、熱を持って称号をもらいに行こうとすると、称号がもらえなかった場合リスクがデカすぎる。
『なにがんばってんだよ、みたいな目を向けられるだろうな。』
みんなその辺くらいまで考えた上で(というか無意識のうちに勘づいて)、自己紹介文打ってる、はず。短くて、熱がなさそうなやつ、いつも読ませてもらってます。とはいえ、俺がこう書けたのは俺も皆さんと同じような考えを持ってるから。
俺の場合はここから『気取ってんじゃねえ』という思考が邪魔をする。
考えに考え抜いた配置、構図、角度、の写真をあげて、自分なりのおしゃれやかわいさをみんなに知ってもらいたいくせに、自己紹介文には、『備忘録。』
自らの普段の思考(本当は普段からの思考ではないかも)を垂れ流し、自分はここまで深く考える人間である!みたいな定義づけが欲しいくせに、『とりとめもない思考をつらつらと。』
自分が生きてる証を、他人の反応によって確認したいです
って言え。大勢から好評価をもらえなかったときのことを考えて、しっかりめの保険をかけるな。ケガしたらしたで、その保険金だけじゃどうせ賄えないんだから。
そう正直に話す人が現れたら、その人が撮る写真や書く文章の質はさておき、それらを含んだ人間としては全肯定したい。
まとめると、もう冷めたフリはやめようぜ」
とか言ってる場合じゃない。
相当長い「」内になってしまったが読んでいただけましたでしょうか。
一年前くらい前までは本気で「」内と考えてたし、別に今もそれに近いことは考えてる。
けど、そうだけど、もうほんとに「備忘録」って思ってる人はいるし、とりとめもない思考をつらつらと、ってほんとに思ってる奴もいる。
ほんとに思ってる奴もいるっていうか、俺は私はほんとに備忘録だと思ってるよ!ってたくさん言われた。言ってたからってそれがほんとかは知らないが。
でもたぶんほんとだろうな。世は大多様性時代だ。だから、このアカウントの自己紹介文も普通にどうかと思う。もうそんなこと言ってる場合じゃない。
人間の思考が及ばない範囲の生きものがいるみたいに、俺の思考が及ばない範囲の思考の人、2つの思考のベン図、赤と青のベン図が交わるとこで紫っぽくならないこともたぶんある。
人間はそんな感じで、互いに影響しあって、一つのベン図のなかに赤の部分も青の部分も紫の部分もあるものだと思ってたけど、
赤はずっと赤で、青はずっと青のこともあるし、あと見たことない色のベン図もありそう。
ベン図のたとえ多くしすぎた。
(今のはベン図のたとえいいなって思って、多用したいけどここまで多用すると、こいつベンズ 図気に入ってるな、つまり、ベン図に対して熱があるなって思われたくないなと思ったから「ベン図のたとえ多くしすぎた」という最強に近い保険をかけるまでの理想的な流れです
わざわざ改行を挟んでるところが保険としてあざとい。ベンズのたとえなど使い古されまくってるというのもポイントです、簡単に大したことは思いつきません)
だから、ベン図が赤のままの俺は、青のままの他人の思考までほんとに読めることはないのだから、多種多様な世の中、もうほんとのことなんてどっちでもいいなと思ったって話です。
またベン図使った。
(今のも保険)
ほんとのことなんてどっちでもいいので、なんか面白い事、面白いと言ってもinterestingじゃなくてfunnyよりのやつを追い求めるってことにしたい。
このノートが、今回も含めinterestingでもfunnyでもないよ、とか思うのはお前に任せます。
読み返してみて、文としては面白くなかったけどこれ書いてる時間は楽しかったです。
(これも保険 とかいうのも、もうあざとい)