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出口のないトンネル

 

  実家に帰ってきた僕は、帰ってきてから間もなく働く事になった。

 いいことじゃないか! と前の話を読んでいた方の中にはそう思われる方もいるかもしれない。

 だが、待ってほしい、すぐに働く事=幸せということでは決してないのである。そのことについて少しばかり語らせてほしい。

 僕の実家では両親が事業をやっていた。中学生の時に父が起業した会社である。

 前職も、そんな父のコネがあって入社した。

 今にして思えば、あの選択は普通に企業を面接していた方などに対しても非常に失礼な会社の入り方であり、会社にも失礼な入り方だったと思う。

 さて、話を戻すが、そんな父の会社が新しく福祉の事業を新たに始めたと帰ってきたばかりの僕に語った。

 そう、働く先は父が新たに始めようとしていた、障害を持つ子供への放課後デイサービスであったのだ。

 僕はその流れで、事業立ち上げの手伝い、及び、子供たちの指導員としてその仕事に携わる事となった。

 だが、立ち上げ当初の事業所の雰囲気は非常に肌が合わなかった。

 子供たちは居ない中、草むしりやトイレ掃除、また、事業所に必要な物資の搬入など、どちらかと言えば、福祉ではなく力仕事が多かった気がする。

 そういう事が重なり、さらに、僕はセンター長に任命されていた方との折り合いが非常に悪かった。

 その前に前職での出来事もあって、精神的にまいっていた事もきっと理由の一つだった思う。

 また、前みたいな事になるのか、僕はそう考えるだけで気が気でなかった。

 トラウマとも言っていいかもしれない、センター長の方は非常に厳しい方で前職で経験した事が脳裏を過る毎日を送っていた。

 そう、僕はここでも同じ過ちを犯していたのだ。

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このマガジンでは一般人と思っていた自分が体験した絶望とADDという精神疾患が発覚し、それと向き合うまでの話を書いています。同じような経験のある方に少しでも読んでいただきたいです。そして、少しでも前を向けるきっかけになればなと思います。

私自身がADDという精神疾患が発覚し、それと向き合うまでの体験談を書いています。福祉で働いている方や同じような疾患を診断され絶望された方が…

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