僕が焚き火をする理由
週末のルーティンはnoteを書くこと。
気付けばもう、週1の連載が80回を超えている。
自分でもなかなかがんばってると思う。
今日も午前中、いつものカフェで本を読んだりしながらnoteを書いていた。
すると、小学生くらいの女の子が返却口に食器を下げようとしているのが目に入った。
彼女は、マグカップやフォーク、ナイフをきちんと戻していく。
最後に残ったのは、おしぼりとそれが入っていたナイロン袋だ。
それから彼女は、ゴミ箱の前でしばらく動き出せないでいた。
どうやら、これは「燃えるゴミ?」「燃えないゴミ?」と悩んでいるようだった。
もしかすると、彼女はまだ一度も火を使ったことがないのかもしれない、と思った。
最近、火を使ったことがない子どもが増えているという。
それくらい火は、現代の暮らしから遠ざかってしまっている。
親や学校の先生から、「これは燃える」「これは燃えない」くらいは教わったかもしれないが、
それが「どうすれば燃えるか」「どれくらい燃えるか」「燃えた後どうなるか」は、知らないのだろう。
それでは、目の前のゴミが燃えるか燃えないかが感覚的に分からないのも無理はない。
火は人類の進化に欠かせないものだった。
調理に使ったり、明かりを灯したり、私たちの生活を豊かにしてくれた。
僕がよく焚き火をするのは、火を見つめているだけで心がほぐれていくのが分かるから。
たまには火を眺める時間を、取り戻してみるのも悪くないと思うんだ。