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どっちつかずって、どっちも幸せにできる状態だよ、きっと。

どっちだろう。

今自分がどっちにつけばいいんだろう、という状況はないだろうか。僕はよくある。会社の上司の言うこと。仕事相手の言うこと。方針がぶつかる。じぶんはその両方の言い分がわかる。いい解決策を見つけて、できるなら両方にいい顔をしたい。放置してしまえばいずれ破綻する。さあ、どうする?

仕事だけじゃない。プライベートでも、そういうことは多々あるかもしれない。右は右の意見を主張し、左は左の意見を主張する。真ん中にいるぼく、わたし。いわゆる板挟みって状態だ。

板に挟まれると、当然ながら痛い。平然な顔をしていても、本当は気が気がじゃないし、祈るような気持ちで過ごしてることも多い。映画をつくる時、テレビをつくる時、関係者がたくさんいる企画になればなるほど、板挟みの感覚を抱く機会が増えた。このヒリヒリ…「生きてるぞ〜!」と感じることもあるけど、出来るならこのことで生を感じたくはない(笑)

自分次第で右と左は決裂もするし、はたまた握手できるかもしれない。間でのたうちまわる様子は、チャップリンに言わせれば、「クローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇」だ。

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ブラック・クランズマン」という映画を観てきた。白人至上主義を掲げるKKK(クー・クラックス・クラン)に潜入する、このポスターのふたりの警察官の話だ。

黒人警官は、「ブラックパワー!」を声高に叫ぶ、黒人学生自治会の女性リーダーに惹かれつつも、自身が警官であるという現実に板挟みになる。白人警官はKKKに潜入しつつも、自身がユダヤ系で差別を受けている現実に板挟みになる。

重い話に思えるかもしれないが、板挟みをどう乗り越えていくか、軽妙にユーモラスに描かれていく。それゆえにラストがずしんとくる。人間くさくてドラマチック。アカデミー賞の“脚色賞”の受賞もうなずける。

映画を見て、もうひとつだけ、話を思い出した。

大学教授の鈴木寛さんの話。AI全盛時代でも決して奪われない人間の仕事。それは「板挟みと想定外と向き合い、乗り越える仕事」だそうだ。

どっちつかずの板挟みの状態になった時、チャンスだと思いたい。

そこからどう自由に立ち回るのか、それはあなただけの、ぼくだけの仕事だ。どっちも幸せにできる何かがある、きっと。

「企画でメシを食っていく」をつづけてきて5年目。何人ものゲストのみなさんに教わってきた「企画」とはそういう想定外の状況を、想定を超える企画で突破するか、ということかもしれない…と今、思う。過去の自分を知っているからこそ。

読んでいただきありがとうございました…!

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